私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

特別養護老人ホームというところ(2)

2009-10-08 | 3老いる
父が特養にお引っ越しをして、まず第一に感じたのは、経験を積んだスタッフが多いということ。

それまでお世話になっていた老健(老人介護保健施設)では、老人看護に経験の厚い看護師の下に、専門学校を出て間もない若い介護福祉士が組織され、若さで現場を動かしていた。

どれくらいだろう、約2割ぐらいの介護センスの素晴らしくある若者と、さほどでもない職業として介護職を選んだ若者たちで現場は回っていた。
離職率が高いことは容易に見て取れる。
メンバーの顔触れは、1/4近くが一年間で入れ替わる感じではなかったろうか。

国から補助金がたっぷり出ていた頃に立ち上げられた老健で、いくつか見学した老健の中では、スタッフが元気に動きまわり、最も手厚い介護をして下さっている様子の老健ではあったのだが。

それに比して、特養では、長年介護職に従事してきたという感じのスタッフが数多く在職されている。
その特養が、地域でも飛びぬけて長い歴史を誇っている施設であるせいかもしれない。

入所すると、一定期間をウェルカムルームといった様子の部屋で過ごす。
安静を保ち、スタッフの目の届きやすいところで、要介護者の癖、体の状態を細かに観察される。
感染症の有無などもその間にチェックされるらしい。

機嫌よく入所した父だったが、1時間後にはここ1~2カ月続いていた不安定な様子に戻り、顔をゆがめて叫び始めた。
父の全身を観察した介護職のリーダーが
「これは、お父さん痒いのだわ」と即座におっしゃる。
成る程、衣類に隠れているが、首、下腿、お尻…、不自由な体でそこここをかきむしった跡がはっきりと見て取れる。

痒かったのか…。

本人は、発語が不自由となっているので、叫ぶしかないのだ。

痛みより痒みのほうが断然苦手な私は、父の苦悩を想像して絶句するしかなかった。
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特別養護老人ホームというところ(1)

2009-10-07 | 3老いる
通常、特養と呼ばれる。

いくつか見学させていただいた施設のなかから、その特養に申込したのは、対応してくださった相談員の様子に感銘をうけたからだった。

年末年始の忙しい時期に、躊躇なく見学日時を提示して下さった。

施設入所がどうしても必要だという利用者の事情を、最大限汲み取ろうとする意志が感じられ、福祉の香りが滲みだしていた。

故に、御老人にたいする否定的な物言いはシャットアウト。
使命感が、ひしひし伝わってくる。

ちょうど感染症の流行していた時期で、体調のすぐれなかった私は、施設の奥までみせていただくことは出来なかったのだが、見学時対応してくださったその相談員の、建物は新しくないけれども、歴史あるホームに対する愛と誇りのようなものが感じられ、内部を見なくても不安は抱かなかった。

施設の中には「祝日や連休は見学をご遠慮いただきたい」というところも少なくない。
「生活の場ですからいつでもかまいませんよ」と時期にこだわらず対応して下さった施設では、そこで暮らしておられる御老人の表情が生き生きとしていたという記憶がある。

私の行動は、社会人としては時を選ばぬ非常識なものだったのだが、常識はずれな行動への対応が、それぞれの施設の懐の深さ、余裕といったものを如実に表現していたという気がする。

生活の場を支える生業には、企業としての対応を超えた対処を期待してしまう。

膨らみ続ける老人介護の需要に応える為、介護の世界に民間の企業原理が導入されたのは致し方ないことだと思うのだが、その質を支えるのは企業原理ではなく、福祉精神だと感じずにはいられない。

利益を追求する、単純な企業原理のもとでは、やはり歪みは生じざるを得ないだろう。

それは、一週間もそこに関わってみれば誰もが直ぐに感じることだ。

どれだけ福祉の精神の息づいた人がその組織に関わっているかで、その環境の居心地は全く異なったものになる。

そういう意味で、お世話になることになった特養は、人的厚みが感じれられ、安心感がある施設であった。

私が感銘を受けた相談員の方は、既に職場を去っておられ、在籍なさっていないのだが…。
退職されたのは、私が見学させていただいて間もなくのことで、今は別の施設でやはり介護の仕事に携わっておられるらしい。

丁寧な説明をして下さったあと「自分の名刺をお渡しできない」とおっしゃって、後任の方の名刺をもらって下さった。
その後任の方から入所連絡をいただいたのだが、担当して下さるのはまた別の相談員の方。
果たしてその後任の方もあるいは…とかすかな不安を覚えることだった。
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父のお引っ越し

2009-10-03 | 3老いる
その連絡は突然やってきた。

特別養護老人ホームからの入所面接についての連絡だ。
申込をしてかれこれ3年。
ようやく、現実的な入所審査の順番が巡ってきたのだ。

お世話になっている老人保健施設の経営側のお一人からは、1年を超えたころから系列の特養に申込のないことを問われ、数か月前にはついに「老健わたりのすすめ」さえいただいていたのだ。
老健側に負担がなくなるような対応をとってはきたのだが。

自宅介護は不可能。
「老健わたり」なんて徒労に終わるのは目に見えている。

待ちに待った特養からの連絡だった。

しかし、手のかかる父を受け入れてくれるだろうか。
ここ1~2カ月は、殊更に不安定で、苦しげに叫ぶ回数が増えている。
心配をよそに、面接は滞りなく終わり「1年以内には何とか」という連絡をいただいた。

その後、あれよあれよと状況は展開してゆく。

1週間後「1年以内には」という話だったのが「入所して下さい」という連絡がはいる。
有難い話だが面食らう。
季節の変わり目で亡くなる方が多かったのだろうか。
めまぐるしく話が進み、最初の連絡から2週間余りで、お引っ越しの日を迎えた。

2年以上お世話になった老健だ。

生死の境をさまよったのちの骸骨のような姿から、痩せてはいるが介護を要する老人らしい姿にまでしていただいた。
表情の消え失せていた顔に、時折笑顔を呼び起こすこともしてくださった。
感謝に絶えないのだ。

しかし、本人は至極自然に、驚くほどあっさりと特養の迎えの車に吸い込まれていった。
「元気でね~」と声をかけてくださる職員の方々に振り返ることもなく、実にさっぱりとしたものだった。
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身につまされる

2009-09-27 | 3老いる
この言葉をこれ程感じたことは近年ないのだ。

「おひとりさま」で検索をかけ、日々のぞかずにはいられなくなったブログがある。

http://yuripanda.blog.smatch.jp/

上記ブログがそれ。

余りに切実で、それに触れることも躊躇されていたのだが、日本の老人介護の一つの典型が、見事に綴られていて共感せずにはいられない。

あらがえない社会制度や、医療や介護の世界の経済状況、そして御老人の陥りやすいジレンマがありありと見て取れる。

そして、私の現実にも恐ろしく似通う部分があって、この気持ちをどう表現すればよいのやら。

我が父は、この秋、フルコースの最終コーナーを回ろうとしている。
息切れしている訳ではなく、日本の老人介護制度のフルコースをかくしゃくとした足取りで駆けている。

伴走者のほうが、息切れしつつあるのだ。
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緊急呼出

2009-09-13 | 3老いる
緊急呼出がしばしば定期的にかかる。

純正のおひとりさま(勝手に造語)の場合、逃れる術が時とともになくなってゆく。
単線列車における終点だから。

誠実に対応し続けていると、自己のポジティブな生活構築は放棄しなくてはならない。
誠実な対応を放棄し、自己の生活の質を保とうとすれば、その都度の解決パターンは二度と再現されなくなる。

自分に大きく依存されていたり、期限を厳密に要求されている仕事には関与できないということだ。

いつでもホローのきく仕事、取り換えのきく人材であることが必要だ。

おひとりさまの存在は、緊急呼出元にとっては生命線だから。
何ともまぁ悲しい方程式がなりたつのだ。

ここ数日もその緊急呼出の対応に終始し、ドッと疲れたのであった。
正味拘束時間にしてみればさほどでなくとも、そこにかかる負荷というか、ストレスの度合いが違う。

不眠症などどこへやら、モーレツな睡魔に襲われ、泥のように眠り、過食に走る。

そして、こうした時期に限って、トピックスとなる出来事が何故か重なる。

後で振り返った時、あの時が山場だったなぁ…と感じることになるのかもしれない。
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やるせない姿(食事中読むべからず)

2009-09-08 | 3老いる
今日は、地場大手のドラックストアーのポイントサービスデーだった。

ゴミ袋やら入浴剤やら定番商品を仕入れに立ち寄ってみたのだが、駐車場は一杯だし、レジのどのレーンも5~6人待ちで結構な賑わいだった。

ひとしきり待たされ、精算を済ませて商品を持ち帰ろうと店舗の出口に買い物カゴを返したところで、一人の老婆とぶつかりそうになった。

ふわふわのブラウスを涼しげなスカートの上に羽織って、頼りなげな様子のその老婆と目は合うのだが、彼女は要件を切りだす気配がない。

私は、本来御老人には優しい性質で、特に彼女のような頼りなげなタイプには手を差し伸べたくなるのだが、両手に荷物を抱え、混雑した店舗の出口で少し先を急いでいた私に
「どうされました?」
と聞いて上げる余裕はなかった。

老婆とぶつからないように弧を描きならが店舗を一歩出て、異変は嗅覚を通してすぐに感じられた。
掃除の行き届いていないトイレの匂いがするのだ(そういえば、老婆の傍を通り過ぎる時からそれは少し臭っていたものだった)。
しかも、店舗を出たところでその臭いは強烈なものとなった。
息が出来ないくらい。

急ぎ足で進みながら、暮れはじめた周囲の様子を観察すると、出入り口からほどないところに茶色い液体がぶちまけられている。
いや、液体ではなく、それは明らかに50㎝四方に広がる泥状便そのものだった。

先を急ぎながら、状況を認識するのに時間はかからなかった。

ふわふわとした足取りのその老婆が、長いレジ待ちをへて精算を済ませ、店舗を出たところで便意を我慢できず、立ったままアスファルト上に泥状便を撒き散らしてしまったのだ。

その事態の収拾が御自身ではつけられず、店員に処理を依頼しようと店舗の入り口でふわふわなさっていたわけだ。

事態を飲み込み、店舗の入り口を振り返った時、すでに老婆の姿は見いだせなかった。

店からは次々買い物を終えた人々が吐き出されてくる。

客をさばくので手いっぱいで、店員の姿はまだ見えない。

「老い」というものは、誰にも必ず訪れる。
人格の良し悪しに関わらず、もちろん生活の貧富を選ぶこともない。

バックヤードの店員がブラシやホースをもって掃除に現れた時、その惨状は迷惑以外の何物でもないのだろうが、誰にでも訪れる老いの結果なのだ。
どうか、優しい憐れみをもって対処してくれたことを祈るばかりである。

その現実を受け止める余裕を保つには、思いがけないほどのエネルギーを必要とするだろう。

けれど、老いは必ず訪れるものなのだ。
あなたにも、わたしにも…誰にも例外なく皆に。
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駄目なんだなやっぱり

2009-09-03 | 3老いる
父を見舞う。

他に誰もいないから…という事情もあるが、長い時間をかけ、色々な自分の可能性を断って父と付き合ってきた。付き合わざるを得なかったという方が正しいが。

最近、目に見えて父の認知症は進行している。

ただ施設介護のプログラムの中で、少しずつ体力がついてきている所為で、その行動はパワフルになってきている。
歩けるようになった訳でも、話せるようになった訳でもないが、腹圧をかけることができるようになったようで、しばしば息む(いきむ)のだ…激しく。

腹筋も少しずつついてきているのではないか、私のそれより立派であるかもしれない。

その結果、胃に直接注入食を流し込むチューブから、胃液を逆流させて、私の背の高さにあるパックまで噴き上げさせるなどという事態をしばしば起こしているようなのだ。

そのことを父が意図して行っているのか、息む動作の結果としてその現象が起きているだけなのかはわからないのだが、いつも清潔に澄んでいた注入食のパックが、澱んで胃中の残渣を取り込んでいるのを見つけると気分が悪くなった。

家に帰り着くとまぶたのうえに台形状の蕁麻疹がたっぷり出来ている。

とにかく生理的に駄目なんだって私の体が訴えている。
血のつながった実の親なんだけど…実の親だからこそ許容し得ないってこともあると思う。
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認知症

2009-08-17 | 3老いる
近ごろ、父の認知症が著しく進行している。

認知症が軽くたって要介護5なのだから、温かい援助の手なくして生きてゆけないのだが、その症状の現れ方がエネルギッシュで、周りの人間は戸惑いを隠せない。

以前から彼には何かしら見えざるものが見えているようだったのだが、それに対する反応が最近は激しい。
動くほうの手を精いっぱいに伸ばして、その見えざるものを指差し、恐怖の表情で体をこわばらせる。
渾身の力を振り絞っている様子で、そのパワーは体力のある介護のプロをも驚かせるらしい。

きっと、脳内で梗塞が続発し、脳細胞の機能しない部分がどんどん増えているのだろう。

しかし、同じ様に機能不全を起こされている方でも、その症状の現れ方は千差万別。

私はやはり父のエネルギーに舌を巻かざるをえない。

先に彼岸の向こうに行ってしまったかの人が、父を誘っているのかもしれないが、しかし、父はまだあちらに行く気はないだろう。

先日はある親族が
「頑張りすぎだよね…」なんて愛のない言葉を吐いていた。

「うわぁ、冷たい人だねぇ…」と聞きながら、その親族も年齢を重ねて毒を包み隠すことを忘れ始めているのかもしれないとも思った。

父自身は、その見えざるものが見える時以外は、そんな恐怖もおびえもお忘れになっている様子で、不敵な笑みを浮かべている。

まったくもって認知症の進行する形を絵に描いたように体現していて、本人は周りで気遣うほど悩ましい状態ではないのだろうが、できるだけ穏やかに残された日を過ごしてほしいもの。

一人で生きている訳ではなく、周りの人が辛いでしょ…なんて言ったって、周囲の思惑は関係ないって言うだろうなぁ…お父上様。
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見えざるものが見えている

2009-07-26 | 3老いる
脳梗塞で倒れて久しい、要介護5認定を受けた御老人の話。

今日の午後様子を見に行くと、不自由な体を精いっぱい動かし、彼にとっては大変なエネルギーを使って真っすぐに天井を指差している。

施設の各人ベッドを囲う天蓋様のカーテンレールを指差して、必死の形相である。
恐怖と言えば恐怖とも言えそうであるが、身の危険が差し迫った感じでもない。
ただ、必死の形相でそれを指差し、その存在を訴えようとしている父である。

梗塞によるダメージが言語野にあるので、失語状態の彼は言葉でその存在の何であるかを伝える術がない。

何が見えているのだろう?

手を握り、額を触り、硬直した肢体をクッションを使ってゆるめてやり
「ここには悪い奴や怪しいものは来れないから大丈夫よ」とオールラウンドに安心を伝えてやるしかない。

神経がピリピリしている時の父は、その額に触れると指先から電気が通るようなビリビリとした痺れ感が伝わってくる。
若干、私がそうした感覚に敏感な所為なのか、それとも。

額から伝わるビリビリとした刺激が治まったころ、彼はようやく落ち着いた風情になる。

生死をさまよった病態が安定したとはいえ、小さな梗塞は続発し、認知症も徐々に進んでいるのかもしれない。

他の入居者の方々が、さほど気にされていない様子に救われる。

脳のなかの出来事には手も足もでない。
本人にとってあまり苦痛ではない、穏やかなストーリーが脳内で紡がれることを祈るばかりである。
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介護の世界も金次第(最終)

2009-05-15 | 3老いる
ここに書くことは事実であるが、決して批判や告発といった意図はなく、単に自身の思考を整理し、記録としてとどめることを目的としている。この点、明記しておきたい。

***********************

かくして、フツーの利用者の選択は、貝のように押し黙って耐えるか、「老健わたり」となるかだ。

そういえば、あの人のもとにも沈痛な面持ちのご家族がいらしていた。
そういえば、あの人も、ある病院で姿を見かけた後、別の施設に移っていかれた。
そういえば…。

日本の介護事情は貧しい。

医療法人がバタバタと倒れる事態が発生しているが、近い将来、ある種の規模と体裁をそなえた福祉法人も倒れゆく時代がくるのかもしれない。

法人が優先するのは、サービスよりも事業体の存続。
一般企業も、医療の世界も、介護の世界も、その点において違いはない。

であるならば、高齢化をこえて、高齢社会となったこの社会は、多分根底からゆらぐことになるだろう。

かつて経済的厳しさを乗り越える仕組みとなってきた家族は崩壊し、マンパワーの補いとして都合されてきた潤沢な資金も、回らない世になってきているのだから。

私の目に映る未来には、暗雲が垂れこめている。
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