今日は、“International Day of Happiness" 国際幸福デー、
国連が今年から、3月20日を“International Day of Happiness(国際幸福デー)”と制定したのだそうです。
日本では、HAPPY DAYとして、日比谷でイベントが行われていました。
実は、私もその中のイベントで皇居を走る予定だったのですが、
いや、待てよ、と。。。。。
私にとって、今、幸せについて考えるとき、
どうしても、心にひっかかる人がいる。
それは、母。
母は、認知症なのですが、
ここ1年、今までの中で最も悪化しているという現実。
施設でお世話になっているけれど、いつ行っても、ソファで眠っている。
ママーー!と耳元で叫んで、揺り動かしても、眠っている。
それでも、めげずに、無理矢理起こして、5mくらい歩かせてみたり(私が支えてやっと歩ける距離)、
車椅子に乗せて公園に行ったり、
それでも、すぐ寝てしまう。
たまーに、一瞬ニコってしてくれる。
それがたまらなく嬉しい。
やっと、あの頃の私がよく知っている『わたしのママ』に出会えた瞬間。
それも、ほんの数秒。
でもその笑顔が見たくて、いつも母に会いに行く。
しかし、先日、介護の責任者の方に非常にショッキングなことを言われてしまった。
「今年はできるだけお母様とたくさん思い出を作ってあげてください。」
何度も、万が一と言う可能性、ということを強調しておっしゃっていただけれど、
母の進み具合から考えれば、そのうち、食事が取れなくなったり、植物人間になっていくといくプロセスの手前なのだろう。
悲しい。
ほんとうに辛いことだ。
母は、今、幸せなんだろうか?
答えは誰にもわからない。
でも、もし私が母のようになったら、、、
息子のことをよくわからなくなったとしても、
きっと息子が私の前で、
ニコニコ楽しそうにしていれば、
私は、きっと幸せな気持ちにはなるだろう。
だったら、施設の方がおっしゃるように、
今年は、というか、これからずっと、
母との思い出作りを積極的にしようと思ったのです。
そこで、今日、この日HAPPY DAYは、
母とHappyを分かち合おうと、両親と息子を連れて、
葉山の家に来ました。
お料理、食事、お風呂、オムツ換え、車椅子でお散歩、、、と介護は大変だなあ、と思いながらも、
私は今日、大切なことを学んだ。
いつも、母のお世話をしてあげなくちゃ、、、と思っていたから、気が重かったのだ。
母の車椅子を押しながら海岸を歩いていたとき、
ふっと思った。
お世話をさせて頂いている、
って、なんてありがたいことなんだろう。って。
私もたくさんママにお世話になって、そして今、お世話ができる状態にあり、
母についてたくさん考えることも出来る。
そして、こんなに密接な関係でいられる。
母が元気だったら、
もっとドライな関係だったかもしれない。
それと、上手く言葉が見つからないのだけれど、
母から、私の心の中に、”慈愛”という種を蒔いてもらったような気がする。
そして、この慈愛こそ、育めば育むほど、私は幸せになるのではないだろうか。
とってもすごいことに、夕方から今まで、なんと母が眠っていない!
私の横に座って、ときどき私を見ている。
そして、いつもよりたくさんたくさん、
ニコっと笑ってくれる。
今日は、心から、Happyな日です。
神様、ありがとう
国連が今年から、3月20日を“International Day of Happiness(国際幸福デー)”と制定したのだそうです。
日本では、HAPPY DAYとして、日比谷でイベントが行われていました。
実は、私もその中のイベントで皇居を走る予定だったのですが、
いや、待てよ、と。。。。。
私にとって、今、幸せについて考えるとき、
どうしても、心にひっかかる人がいる。
それは、母。
母は、認知症なのですが、
ここ1年、今までの中で最も悪化しているという現実。
施設でお世話になっているけれど、いつ行っても、ソファで眠っている。
ママーー!と耳元で叫んで、揺り動かしても、眠っている。
それでも、めげずに、無理矢理起こして、5mくらい歩かせてみたり(私が支えてやっと歩ける距離)、
車椅子に乗せて公園に行ったり、
それでも、すぐ寝てしまう。
たまーに、一瞬ニコってしてくれる。
それがたまらなく嬉しい。
やっと、あの頃の私がよく知っている『わたしのママ』に出会えた瞬間。
それも、ほんの数秒。
でもその笑顔が見たくて、いつも母に会いに行く。
しかし、先日、介護の責任者の方に非常にショッキングなことを言われてしまった。
「今年はできるだけお母様とたくさん思い出を作ってあげてください。」
何度も、万が一と言う可能性、ということを強調しておっしゃっていただけれど、
母の進み具合から考えれば、そのうち、食事が取れなくなったり、植物人間になっていくといくプロセスの手前なのだろう。
悲しい。
ほんとうに辛いことだ。
母は、今、幸せなんだろうか?
答えは誰にもわからない。
でも、もし私が母のようになったら、、、
息子のことをよくわからなくなったとしても、
きっと息子が私の前で、
ニコニコ楽しそうにしていれば、
私は、きっと幸せな気持ちにはなるだろう。
だったら、施設の方がおっしゃるように、
今年は、というか、これからずっと、
母との思い出作りを積極的にしようと思ったのです。
そこで、今日、この日HAPPY DAYは、
母とHappyを分かち合おうと、両親と息子を連れて、
葉山の家に来ました。
お料理、食事、お風呂、オムツ換え、車椅子でお散歩、、、と介護は大変だなあ、と思いながらも、
私は今日、大切なことを学んだ。
いつも、母のお世話をしてあげなくちゃ、、、と思っていたから、気が重かったのだ。
母の車椅子を押しながら海岸を歩いていたとき、
ふっと思った。
お世話をさせて頂いている、
って、なんてありがたいことなんだろう。って。
私もたくさんママにお世話になって、そして今、お世話ができる状態にあり、
母についてたくさん考えることも出来る。
そして、こんなに密接な関係でいられる。
母が元気だったら、
もっとドライな関係だったかもしれない。
それと、上手く言葉が見つからないのだけれど、
母から、私の心の中に、”慈愛”という種を蒔いてもらったような気がする。
そして、この慈愛こそ、育めば育むほど、私は幸せになるのではないだろうか。
とってもすごいことに、夕方から今まで、なんと母が眠っていない!
私の横に座って、ときどき私を見ている。
そして、いつもよりたくさんたくさん、
ニコっと笑ってくれる。
今日は、心から、Happyな日です。
神様、ありがとう