続くと書いてから13年も経って、今更という気もありました。
だけど、いつもお出でいただく竹千代さんの初めての(続き希望)に背中を押されました。
片山さんがクリスチャンだったという面を頭に置いていきます。
今日は片山さんの生い立ちをご紹介します。
(日出雄を中心に右より輝男、高、昇、百合子)
片山日出雄さんは大正八年(1919)出生と同時に片山精三の養子として入籍されました。
養父精三は当時広島一の格式を誇る片山写真館の当主、元安橋近くの中本本町に
100坪あまりの細長い敷地に二階建ての住居とスタジオが建っていました。
・・・・・・(中略)・・・・・・
日出雄が養子に入った二年後に精三・静香夫婦の間に長い間授からなかった実子次男の輝男が、
広島地方の方言に言われる「せり子」(せせりご、競りご)のような形で生まれ、九年後百合子、
昇、高と二年おきに誕生。
東の空に日の出「日出雄」があり、それが四方に輝いて「輝男」、日がだんだんと昇って「昇」
やがて中天に高く「高」、というのが兄弟につけられた名前の謂われだそうで、その真ん中に
百合のように清らかに匂う花一輪が長女の百合子だったのです。
・・・・・・(中略)・・・・・・
恵まれた幼年時代を過ごした日出雄は中島尋常小学校、広島の私学の名門修道中学校に進学。
そのことから英語に強い関心を抱き恐らく同級生の誰かと英語習得のためにアメリカ人牧師
ウイリアム・ヘレフォードさんのいる広島教会に通うようになりました。
日出雄はたちまちウイリアム牧師に傾倒、中学二年の時洗礼を受けたのです。
片山家周辺にキリスト信仰に影響をあたえるような人はいなかったのに、何故に若くして
クリスチャンになろうとしたのか、本人の口や態度からそのような気配は全然感じ取ることが
できなかったと次兄輝男は語っていましたが、自分の出生が養子だったことに大きな引け目を
感じて精神的にかなりの葛藤があり、どこか落ち着く場所が欲しかったのではとも語っています。
文章はラバウルの黒い雨より引用
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