先日投稿した『坊ちゃん」の続きです。
夏目漱石の文は運びの調子がよく、先の「坊ちゃん」ではないが、ポンポンいう江戸下町ことばを思わせる。
もちろんそんな文ばかりではなく「草枕」などは難解な文字の連なりで、じきに嫌になってしまうが、それでもまた読みたくなる。
ただそれだけでわないのは、言うまでもないが、いつ読んでも今風を感じる。
つまり、明治の文豪でありながら、他者に比べて昔を感じさせない。
私の好きな現代作家に 故 井上ひさしさんがいるが、彼は漱石を範としていた。
ひさし氏は漱石の文調に、音楽的リズムを含ませたと思う。
話をもどそう。
割合調子よく読める漱石の書籍の中で「わがはいは猫である」は、チョットしんどい。
猫が飼い主と、訪れてくる人々の有様を、主に書斎の狭い空間での展開を描いているだけに、変化がとぼしい。
いかし、人間をここまで分析されると欠伸もできぬ。
ところで、我が家の猫のチビクマは、主人観察どころか、朝一でどこかにいってしまい
夕方になると「トーーチャンはらへったーー」と帰ってくる。
「吾が輩は気楽である」
夏目漱石の文は運びの調子がよく、先の「坊ちゃん」ではないが、ポンポンいう江戸下町ことばを思わせる。
もちろんそんな文ばかりではなく「草枕」などは難解な文字の連なりで、じきに嫌になってしまうが、それでもまた読みたくなる。
ただそれだけでわないのは、言うまでもないが、いつ読んでも今風を感じる。
つまり、明治の文豪でありながら、他者に比べて昔を感じさせない。
私の好きな現代作家に 故 井上ひさしさんがいるが、彼は漱石を範としていた。
ひさし氏は漱石の文調に、音楽的リズムを含ませたと思う。
話をもどそう。
割合調子よく読める漱石の書籍の中で「わがはいは猫である」は、チョットしんどい。
猫が飼い主と、訪れてくる人々の有様を、主に書斎の狭い空間での展開を描いているだけに、変化がとぼしい。
いかし、人間をここまで分析されると欠伸もできぬ。
ところで、我が家の猫のチビクマは、主人観察どころか、朝一でどこかにいってしまい
夕方になると「トーーチャンはらへったーー」と帰ってくる。
「吾が輩は気楽である」