NHKの朝ドラ「花子とアン」はなかなか面白い。
尋常小学校の教師がようやく板につき、卒業式がありました。
それを視聴していてフッと思い出したのが 母の若かりしころの写真 です。
中学校の教師をしていた母ですが、それも大正12年 母が21歳という若かりしころだ。
教師である限り毎年卒業写真を撮っていたことと思うが、手元にあるのはこの一枚だ。
母がよほど気に入っていたのか、それとも始めての卒業生を送り出したときなのか・・。
端っこにいることを観れば、教員になったばかりの歳なのかもしれない。
21歳と言えば、女学校を出たばかりの娘さんだったろう。
ドラマを見て母もそんな様子だったんだろうと・・。
母を女優並みとまでは言いませんが、三人娘の長女で「三小町」と称されていたらしい。
ヘヤースタイルは203高知髷といい、当寺の世相を現している。
黒柳哲子氏もマッサオですね。
父は学者としてかなりだったようで、そのうえ再婚だった。
私の母になるまでには、計り知れぬ物語があったことと思うが、今となってはまったくわからない。
「お父さんと一緒になって、奥様・奥様と下にも置かれないことがありました」
と、ポツリと語ってくれたことがあった。
全て戦争以前の帝都時代のことだ。
尋常小学校の教師がようやく板につき、卒業式がありました。
それを視聴していてフッと思い出したのが 母の若かりしころの写真 です。
中学校の教師をしていた母ですが、それも大正12年 母が21歳という若かりしころだ。
教師である限り毎年卒業写真を撮っていたことと思うが、手元にあるのはこの一枚だ。
母がよほど気に入っていたのか、それとも始めての卒業生を送り出したときなのか・・。
端っこにいることを観れば、教員になったばかりの歳なのかもしれない。
21歳と言えば、女学校を出たばかりの娘さんだったろう。
ドラマを見て母もそんな様子だったんだろうと・・。
母を女優並みとまでは言いませんが、三人娘の長女で「三小町」と称されていたらしい。
ヘヤースタイルは203高知髷といい、当寺の世相を現している。
黒柳哲子氏もマッサオですね。
父は学者としてかなりだったようで、そのうえ再婚だった。
私の母になるまでには、計り知れぬ物語があったことと思うが、今となってはまったくわからない。
「お父さんと一緒になって、奥様・奥様と下にも置かれないことがありました」
と、ポツリと語ってくれたことがあった。
全て戦争以前の帝都時代のことだ。