6年前から、いやそれ以前から始まっていた脊柱管狭窄症なのであろうが、たまたま6年前の8月にガクンときて、MRI検査にてはっきりわかった。
分かったが治療法がわかったわけでなく、整骨医院に行けば決まったように手術をしましょう、の一言。
以後、自己治療とともにマッサージ・整体・鍼灸などにかかり、動きも普通の生活ができてきた。
しかし、昨年より気合の入った制作を続け、いつの間にか頸や腰に大きな負担をかけていたのか・・。
昨年頃から全身のシビレが出始め、最初に脳の障害を心配し検査を受けた。
全く心配はないが、シビレに関してはワカラナイ、とのことで、今なお同じ診察結果だ。
今年の8月に入り、シビレが一気に進み、足の裏は感覚がなくなり運転が難しくなる。
その状態は今も変わらず、この先も直ちに改善することはあるまい。
杖を離せない生活になっているが、少しずつ歩数が増えている。
今日こそは 一歩先に 歩きたい
期待こめ 歩いてくれと 願う朝
歩行器を 見て悲しき 就寝時
今日こそは 百歩歩くぞ 手を伸ばし
そのような状況の現在で、しみじみ思うことがある。
自分のことを自分でできることがいかに「いきている」と思えることか。
生きる ということに対し、名誉や財産またはそれらに類することがいかに虚しいことか。
正直 私にはそれらはないが、介護の方々に頼る前に、なんとしても自分で過ごしたいものである。
分かったが治療法がわかったわけでなく、整骨医院に行けば決まったように手術をしましょう、の一言。
以後、自己治療とともにマッサージ・整体・鍼灸などにかかり、動きも普通の生活ができてきた。
しかし、昨年より気合の入った制作を続け、いつの間にか頸や腰に大きな負担をかけていたのか・・。
昨年頃から全身のシビレが出始め、最初に脳の障害を心配し検査を受けた。
全く心配はないが、シビレに関してはワカラナイ、とのことで、今なお同じ診察結果だ。
今年の8月に入り、シビレが一気に進み、足の裏は感覚がなくなり運転が難しくなる。
その状態は今も変わらず、この先も直ちに改善することはあるまい。
杖を離せない生活になっているが、少しずつ歩数が増えている。
今日こそは 一歩先に 歩きたい
期待こめ 歩いてくれと 願う朝
歩行器を 見て悲しき 就寝時
今日こそは 百歩歩くぞ 手を伸ばし
そのような状況の現在で、しみじみ思うことがある。
自分のことを自分でできることがいかに「いきている」と思えることか。
生きる ということに対し、名誉や財産またはそれらに類することがいかに虚しいことか。
正直 私にはそれらはないが、介護の方々に頼る前に、なんとしても自分で過ごしたいものである。