パラパラと開いた古語辞典。
小倉百人一首の項目に「田子の浦 うち出でてみれば白妙の・・・・」の私でも知っている句で、次々に裏覚えの句が並んでいます。
辞典には詳しい説明が続くのですがそれはご自分で・・。
今の季節にふさわしい句に
「小倉山 峰のもみじ葉 心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ」
見事な小倉山の紅葉を息子である後醍醐天皇にも見せたいものだ。それまで散ってくれるなよ。と呼びかけているような句です・・。
もちろん、もっと詳しい説明があるのですが・・。
古語辞典を当てずっぼに読み、そのはしから忘れているのですが、
現在何気なく使っている言葉が、時代時代の思いが重なり変化しながら伝わってきている。
「言葉・文学ってすごいなー」と改めて感じています。
「言葉が乱れている」などと申す方がいますが、確かに若い方の言葉はわからなくなっています。
かといって「乱れている」とか「昔はよかった」などとは思いません。
むしろ、年配者が無理をして若者言葉を使うほうが滑稽かと思う。
小倉百人一首の項目に「田子の浦 うち出でてみれば白妙の・・・・」の私でも知っている句で、次々に裏覚えの句が並んでいます。
辞典には詳しい説明が続くのですがそれはご自分で・・。
今の季節にふさわしい句に
「小倉山 峰のもみじ葉 心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ」
見事な小倉山の紅葉を息子である後醍醐天皇にも見せたいものだ。それまで散ってくれるなよ。と呼びかけているような句です・・。
もちろん、もっと詳しい説明があるのですが・・。
古語辞典を当てずっぼに読み、そのはしから忘れているのですが、
現在何気なく使っている言葉が、時代時代の思いが重なり変化しながら伝わってきている。
「言葉・文学ってすごいなー」と改めて感じています。
「言葉が乱れている」などと申す方がいますが、確かに若い方の言葉はわからなくなっています。
かといって「乱れている」とか「昔はよかった」などとは思いません。
むしろ、年配者が無理をして若者言葉を使うほうが滑稽かと思う。