フランス サンモンのタナ種がメインで造られたシャトー・ド・ラ・ローク1996を飲んだ夜、新聞に月をめぐる有人飛行の記事がありました。
スペースX社の宇宙船ドラゴンで2名の観光客を載せ一週間で月を回って帰るという計画。それも来年!
スペースX社は米国の宇宙企業でNASAから委託を受け有人宇宙船ドラゴンを開発中ですが、まだ有人飛行は行っていません。まず国際宇宙ステーションに宇宙飛行士をドラゴンで輸送と帰還を成功させ、次の試みとして月への飛行を考えているそうです。それなのに来年とはねぇ。だいたいまだ 地球周回どころか弾道飛行の観光ロケットも飛んでないというのに。
そうですか。人類が月に降り立ってからもう46年経つんですね。有人月面着陸計画“アポロ計画”。わくわくしながらテレビを見たものでした。
人類初の月面着陸は1969年の7月アポロ11号。月の周回軌道から月面にへの降下を早朝確か5~6時ごろだったか、家族でテレビ中継を見守りました。
画面は今とは比べ物にならないほど稚拙な線画のコンピュータ図(CGなんて言えないほど)の月着陸船が月面に向かって降りていくもの。同時通訳は西山千!。西山さんの同時通訳は、独特な言い回しとクールな雰囲気で世紀の一瞬を刻々と伝えていました。
そして、着陸成功!
ただ、画面は特別変わるわけでもなく、歓喜の声が上がるでもなく淡々としたものであったのを覚えています。
月着陸船を出て宇宙飛行士が月に降り立つのは、まだ数時間あと、お昼前とのことで、父は仕事に出かけ、私達はもう一度床に入りました。
それから目が覚めたのは、何時ごろだったでしょうか。夏休みに入ったばかりで学校もなくゆっくり寝てしまっていたようです。
居間に行くと、きれいに掃除され来客用の座卓が出され、座布団も敷かれていました。
祖母が急に来ることになったようです。
居間から開け放した縁側を越しに よく晴れた夏の光が庭を眩しく照らしているのが見えます。その頃はエアコンなんてありませんでしたが、扇風機で十分しのげたのです。
居間でアポロ11号の月からの生中継と祖母を待つこと数時間、午前11時間ごろ中継が始まりました。
月着陸船の脚がモノクロ画像で写し出され上から飛行士が降りて来るのですが、バッグの月面は真っ白に着陸船のはしごのは真っ黒でまるで影絵のよう、降りて来る飛行士は実態のない幽霊のみたい。今のようにカメラも、中継の技術も高くなかったのですから仕方がありません。そんな映像でも興奮して見ていました。
そしてアームストロング船長が月に第一歩を記し、「この一歩は小さいが人類にとっては大きな飛躍だ・・・」の名台詞を西山千さんの通訳で聞いたのです。
しばらくすると、カメラは月着陸船が見渡せる位置に移され、やっと別世界らいしい画面となりました。
相変わらずその映像は、現実ともつかないような見ずらいものでした。静の海と言う平野に降り立ったので、少年雑誌の巻頭の想像図でよく見たような切り立った山や谷はなく、平原だけが写っていました。(この後アポロ15号がアペニン山脈のハドリー谷近くに降り立ちましたが、山の近くにも関わらず、切り立った地形はなく、どちらかと言うと巨大な砂丘のような風景で、これまでの想像図が間違っていたことを示していました)。
月からの中継も終わり、興奮冷めやらぬ頃午後に祖母がやって来ました。
祖母にはつい今しがたの人類初の出来事に興味も関係も全く無く、困った近所の人のことなどの世間話をして帰って行きました。
夕方には、駅に行き売店で新聞社各紙の夕刊を買い回りました。夕刊のほとんどのページは、この人類初の偉業の記事で埋まり、普段とは違う様相を呈していました。
その新聞たちは、今も押し入れのどこかにあるだろうな。
そうですか。人類が月に降り立ってからもう46年経つんですね。
当時の勢いでは、21世紀初頭には普通の人でも月には観光旅行もできる予想でしたが、だいぶ予想はずれてしまいましたね。
ともかく、来年の民間の月周回飛行が無事行われますように。
スペースX社の宇宙船ドラゴンで2名の観光客を載せ一週間で月を回って帰るという計画。それも来年!
スペースX社は米国の宇宙企業でNASAから委託を受け有人宇宙船ドラゴンを開発中ですが、まだ有人飛行は行っていません。まず国際宇宙ステーションに宇宙飛行士をドラゴンで輸送と帰還を成功させ、次の試みとして月への飛行を考えているそうです。それなのに来年とはねぇ。だいたいまだ 地球周回どころか弾道飛行の観光ロケットも飛んでないというのに。
そうですか。人類が月に降り立ってからもう46年経つんですね。有人月面着陸計画“アポロ計画”。わくわくしながらテレビを見たものでした。
人類初の月面着陸は1969年の7月アポロ11号。月の周回軌道から月面にへの降下を早朝確か5~6時ごろだったか、家族でテレビ中継を見守りました。
画面は今とは比べ物にならないほど稚拙な線画のコンピュータ図(CGなんて言えないほど)の月着陸船が月面に向かって降りていくもの。同時通訳は西山千!。西山さんの同時通訳は、独特な言い回しとクールな雰囲気で世紀の一瞬を刻々と伝えていました。
そして、着陸成功!
ただ、画面は特別変わるわけでもなく、歓喜の声が上がるでもなく淡々としたものであったのを覚えています。
月着陸船を出て宇宙飛行士が月に降り立つのは、まだ数時間あと、お昼前とのことで、父は仕事に出かけ、私達はもう一度床に入りました。
それから目が覚めたのは、何時ごろだったでしょうか。夏休みに入ったばかりで学校もなくゆっくり寝てしまっていたようです。
居間に行くと、きれいに掃除され来客用の座卓が出され、座布団も敷かれていました。
祖母が急に来ることになったようです。
居間から開け放した縁側を越しに よく晴れた夏の光が庭を眩しく照らしているのが見えます。その頃はエアコンなんてありませんでしたが、扇風機で十分しのげたのです。
居間でアポロ11号の月からの生中継と祖母を待つこと数時間、午前11時間ごろ中継が始まりました。
月着陸船の脚がモノクロ画像で写し出され上から飛行士が降りて来るのですが、バッグの月面は真っ白に着陸船のはしごのは真っ黒でまるで影絵のよう、降りて来る飛行士は実態のない幽霊のみたい。今のようにカメラも、中継の技術も高くなかったのですから仕方がありません。そんな映像でも興奮して見ていました。
そしてアームストロング船長が月に第一歩を記し、「この一歩は小さいが人類にとっては大きな飛躍だ・・・」の名台詞を西山千さんの通訳で聞いたのです。
しばらくすると、カメラは月着陸船が見渡せる位置に移され、やっと別世界らいしい画面となりました。
相変わらずその映像は、現実ともつかないような見ずらいものでした。静の海と言う平野に降り立ったので、少年雑誌の巻頭の想像図でよく見たような切り立った山や谷はなく、平原だけが写っていました。(この後アポロ15号がアペニン山脈のハドリー谷近くに降り立ちましたが、山の近くにも関わらず、切り立った地形はなく、どちらかと言うと巨大な砂丘のような風景で、これまでの想像図が間違っていたことを示していました)。
月からの中継も終わり、興奮冷めやらぬ頃午後に祖母がやって来ました。
祖母にはつい今しがたの人類初の出来事に興味も関係も全く無く、困った近所の人のことなどの世間話をして帰って行きました。
夕方には、駅に行き売店で新聞社各紙の夕刊を買い回りました。夕刊のほとんどのページは、この人類初の偉業の記事で埋まり、普段とは違う様相を呈していました。
その新聞たちは、今も押し入れのどこかにあるだろうな。
そうですか。人類が月に降り立ってからもう46年経つんですね。
当時の勢いでは、21世紀初頭には普通の人でも月には観光旅行もできる予想でしたが、だいぶ予想はずれてしまいましたね。
ともかく、来年の民間の月周回飛行が無事行われますように。