川辺川、荒瀬、路木と3つのダム問題について、蒲島知事は、きょうの県議会で「県民の最大幸福量の増大という一点だけで判断した」と判断基準が一貫していると言われた。
知事は、川辺川ダムについては、民意だとして計画を白紙撤回、荒瀬ダムは県の財政難を理由に撤去から存続に方針転換、路木ダムは水の安定供給と洪水防止が行政の役割として事業推進を表明された。
私は、以上の判断について、先の議会で一貫性が無いと申し上げたが、今日の答弁ではそれぞれの判断は「県民の幸福量の増大」という点で一貫しているとのことだった。しかし、そもそも公共事業の判断基準が幸福量でいいのか。公共事業は、その名の通り公共性や費用対効果、自然環境への影響、緊急性などを勘案して事業推進を判断すべきではないか。
耳触りのいい「幸福量」というものは、誰がどのように量るのか、そして、どれだけあるのか非常にあいまいである。自分に都合のいい判断をして、それがあたかも県民の幸福量の増大につながる、なんて、それで説明責任が果たされたと勘違いしてもらっては困る。
知事は、川辺川ダムについては、民意だとして計画を白紙撤回、荒瀬ダムは県の財政難を理由に撤去から存続に方針転換、路木ダムは水の安定供給と洪水防止が行政の役割として事業推進を表明された。
私は、以上の判断について、先の議会で一貫性が無いと申し上げたが、今日の答弁ではそれぞれの判断は「県民の幸福量の増大」という点で一貫しているとのことだった。しかし、そもそも公共事業の判断基準が幸福量でいいのか。公共事業は、その名の通り公共性や費用対効果、自然環境への影響、緊急性などを勘案して事業推進を判断すべきではないか。
耳触りのいい「幸福量」というものは、誰がどのように量るのか、そして、どれだけあるのか非常にあいまいである。自分に都合のいい判断をして、それがあたかも県民の幸福量の増大につながる、なんて、それで説明責任が果たされたと勘違いしてもらっては困る。