RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

踊り狂う鹿はどんな船でサフランを食うのだろう

2009-12-14 00:06:28 | 超おすすめ

(枯葉も濡れるとつかの間。生き返るの)

ある人からのメール
『泥船に乗った気で任せなさい』
というプロポーズの言葉が
シャレにならないところまで来てます

とかって言う
泥船利休に赤い毛氈敷きお茶も濁す年の暮れ
かな
字余りかなりなり
その方の
泥船がクィーンエリザベスⅡ世号

一日も早く変身するよう
私は
泥沼に囲まれた森のキツネの穴蔵
にて
切にお祈り申しつつ

思いは春に逃げる
つかの間の現実逃避

花と豊穣の女神
若草色の女という意の
クローリス(ローマじゃフローラだ)

ある時
神々の反対に合い
愛した女と結婚出来ないことを
悲観し
自殺した美青年を
憐れんで生まれ変わらせた
クロッカスの花
その花を食べて
鹿は踊り狂うのです

そうそう
ナルキッソスも水仙にされたし
ヒュアキントスはヒヤシンスに
アドニスはアネモネに
花は男前の生まれかわり
なのだから
女が花を好むのはどおりで道理だ



話は戻るけど
森の中で鹿が
クロッカスの花を食べて
踊り狂ってた の
『キツネと私の12ヶ月』
って
映画の中で
リュック・ジャケ監督作

るるの大好きな
『皇帝ペンギン』の監督
2005年
アカデミー長編ドュメンタリー映画賞
もらったやつ
元生物学者でもあるらしい
皇帝ペンギンるる解説はこちら見てね

クリック

美しさと悲しみのアデリーランド


『キツネと私の12ヶ月』は
映画館で見たかったの
でも
見れなかった(涙)
テレビでやっと放映
もちろんビデオに撮ったわよ
そばかすの少女がいかにも仏蘭西ぽい

鹿が踊り狂うクロッカスの花には
興奮作用があるのか?
アルカロイドかなんか含まれてる?




だって
キツネも食ってました
霧中に夢中でぱくぱくと
森の動物たちも
酔っ払いたい時があるのね
きっと泥沼に泥船で漕ぎだした
みたいな時が?
あるのか!


(森に帰りたいの)


それは鹿も角
いや兎も角
次の日
『もうひとつのキツネと私の12ヶ月』
って
メイキング映像があったの
これもビデオっておいた
その森は
イタリアの国立公園らしいことが判明
ここのキツネが人なつこいらしいから

頑張ってみることにしたって
だから
何百日何か月もかけて
撮影準備の為
森で 待つの
待つの 待つのよ
あくまで
『ずっと待ち続けます』
これって
クロッカスの花言葉だった
そうなのね

クロッカスの仲間の
サフランの花言葉が
「歓喜」
って言うから
サフランの花にも薬効がある
花はそっくりだけど
違うのよ
秋の終わりに
ニンフがね
羊たちが野原の草が枯れて悲しんでいる

女神フローラに訴えたから
季節の最後に
サフランを咲かせたの
女神は森の絨毯をサフランにした


(階段の冬着はサクラ葉100%)

サフランのめしべは高級香辛料
クロッカスにはあのサフランみたいな
赤い一本のめしべ(見ため三本に分れてるけど)

無くて
どっちかっていうと
サフランを食すと
血のめぐりが良くなり
興奮作用がありそうだから
サフラン ぽいな
鹿が食べてたのは

サフランなのかクロッカスなのか
はっきりしないが
春だったならクロッカスだ

サフランは
めしべが染料にもなるでしょ
サフランライスのあの
黄土色よ
赤いめしべは黄土色に布を染める
米もきんとんも染める
いや!
きんとんはくちなしだったね

だから
昔むかし
お釈迦様 
ブッダが死んだあとに
弟子の僧たちは
袈裟をサフラン色に染めた

サフラン色というと
サフランの花の紫色
のように
勘違いする人もいる
カモ知れず

でも違う
黄土色なの
袈裟はもともと
糞ぬぐいの様な
ぼろ布を継ぎ合わせた物
だったから
黄土色なの
僧侶はぼろを
纏っていることが普通
いまや
きんきらな高級袈裟を着ているけど

「袈裟」の梵語は
「カサーヤ」で
汚濁色のこと
カーキ色の語源でもあるって


(赤き葉ながるる鹿ノ谷)

クロッカスからカサーヤ
て!
またも
カ行はサ行で語源にリンゴ
リンゴかわいやごめんにサグァ
そういえば
『リンゴが教えてくれたこと』
って本がベストセラーに

リンゴの自然栽培を成功させた
木村秋則さんの本

自然栽培とは
有機栽培ではなく
農薬も肥料もつかわない栽培
なんだって
肥料も!?これはすごい
有機肥料をつかった作物や
普通に農薬や化学肥料で育てた作物と
自然栽培の作物のちがいは
放置実験して置くと

早く腐るのが有機栽培
遅く腐るのが普通栽培
自然栽培の作物は腐らずに枯れていく

のだそうで
腐る作物を食べているから
身体を悪くする病気にもなる
自然栽培の作物を食べているなら
人は健康に生きて健康に枯れていく

そんな感じのことが書いてあるみたい
自然栽培の奮闘記でもある

自然栽培が広がって行く為には
農業を根底からかえなきゃならないから
まだまだらしい
私たちは
枯れずに腐っていかねばならないのか
無性に悲しい
森へ帰ろう。

今日の名文

 日本の経済を樹木になぞらえると、中央に幹(首都)があってそこから枝(地方)が伸びているという構造と考えるでしょうが、私は違うと思います。本当は小枝についている葉っぱ(町や村)が、デンプンをつくり、幹を支えているのです。 私の田舎の岩木川にも多くの支流があります。川は支流から集まってどんどん太くなっていきます。中国の大河、揚子江にしても、もとは名も知らぬ湧き水から始まり、滔々と流れて海が近くなれば巨大な川となります。
 地方を活性化しようといってもなかなかうまくいかないのは、逆に考えているからだと思います。もっと木や川を参考にしたらいい。枝葉、支流から発想する経済構造ができれば、地方も潤い大都市も潤うでしょう。
      (りんごが教えてくれたこと「木村秋則著」日本経済新聞出版社)


(着物の柄みたくちりぬるを)


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