今日の新聞ネタ、軍事政権による独裁支配が続くミャンマーの情報交換の
場所での喫茶店ジョークが載っていた、ミャンマー人が外国で歯科医にいった
ら虫歯だらけ、驚いた歯科医は「ミャンマーには歯科医はいないんですか?」
と聞くと「歯科医はいますが、ミャンマーでは口をあけることが許されて
いないんです」厳しい報道規制が敷かれた国でも人はつぶやく・・・。
他にも「本音のコラム」と題して、米国、ロシア、日本でのジャーナリスト
迫害や暗殺や焼き討ち事件を発端に、ルポライターの鎌田氏が親しい物書き
達と「言論封じのテロを許さない」と共同アピールの運動を始め、組織のない
市民による集会を10月17日に開き、ささやかではあるが広がっているよう
だとあった。
10月23日の記事で、「アジア発日本への手紙」で台湾の黄俊銘記者の話
この秋、台北市内は金銭スキャンダルの暴露によって「総統は辞めるべきだ」
と愛国歌や懐メロを改作して時局を皮肉る歌を歌い、辞任運動主催者たちは
アイデアいっぱいのイベントをいろいろ考え、総統を針のむしろに座ってい
る気持ちにさせている、まず大企業のように運動ロゴを作成、支持者に赤い
衣装を着るように呼びかけ、家でも職場でも意思表示が出来「集会遊行法」に
も制限されない為、町中に赤い服の人が現れた。また九月には総統府を囲む
「囲城の夜」を行い約30万人が赤い服を着て参加。10月の国慶記念日も
同様だ。陳総統の地方視察にも赤服の人が現れる、服装は自由なので警察は
どうしようもない。
つぶやきも大勢になれば叫びになり、アイデアによって無言の抗議も出来る
ってこと、これって国民性もあるだろうね、先ずは日本では情熱エネルギー
の確保からしなきゃならないのかな、何かにつけて遠慮?し続ける国民性。
確かに闘争心の少ない国民の気はするが、だから噛み付く人は貴重な存在
として支持されたり、逆に出る杭は打たれるで無視されたり、誹謗されたり
日常生活でも、子供のいる人は経験があると思うけど、地域の集まりや学校の
委員会などでたとえば反対意見を言うと、「あの人は何者?」的な視線を貰い
意見を言う人間は常にその裏側で批判されることになる、何故か表では反論
されないことが多い・・面と向かって反論しろよこれも国民性なのか?
言論の自由の話とはちょっとずれてしまうかな、ただ大きな権力も、小市民生活
の小さな権力も組織や団体の長の采配次第だってことには変わりないような気が
する、批判はちゃんと受け止めて平常心で議論できる社会にならにゃあなるめぇ。
議論の場では、怒りや疑問があるからエネルギーも生まれるわけで、平常心って
いうのが、けっこう難しいんだけどもさ。
今日のうた。きこりは町に出た
木を切る (るる)
木を切る 血は出ない
年輪を数え たかだかだな
木を切る 丸い幹と対峙する
でも泣かない 君も泣かない
木を切る 枝を払う
裸になって 添い寝をする
木を切る 皮を剥いで
つるつるつる つくづくだ
木を切る 骨はない
髄の空洞に 息を吹き込む
木を切る 声が倒れる
こだまが一つ二つ 全部で三つ
木を切る たいしたことない
誰かがささやく
日暮のシャワー
浴びて梢に 耳をとられる
(写真は我が家の庭の木)
場所での喫茶店ジョークが載っていた、ミャンマー人が外国で歯科医にいった
ら虫歯だらけ、驚いた歯科医は「ミャンマーには歯科医はいないんですか?」
と聞くと「歯科医はいますが、ミャンマーでは口をあけることが許されて
いないんです」厳しい報道規制が敷かれた国でも人はつぶやく・・・。
他にも「本音のコラム」と題して、米国、ロシア、日本でのジャーナリスト
迫害や暗殺や焼き討ち事件を発端に、ルポライターの鎌田氏が親しい物書き
達と「言論封じのテロを許さない」と共同アピールの運動を始め、組織のない
市民による集会を10月17日に開き、ささやかではあるが広がっているよう
だとあった。
10月23日の記事で、「アジア発日本への手紙」で台湾の黄俊銘記者の話
この秋、台北市内は金銭スキャンダルの暴露によって「総統は辞めるべきだ」
と愛国歌や懐メロを改作して時局を皮肉る歌を歌い、辞任運動主催者たちは
アイデアいっぱいのイベントをいろいろ考え、総統を針のむしろに座ってい
る気持ちにさせている、まず大企業のように運動ロゴを作成、支持者に赤い
衣装を着るように呼びかけ、家でも職場でも意思表示が出来「集会遊行法」に
も制限されない為、町中に赤い服の人が現れた。また九月には総統府を囲む
「囲城の夜」を行い約30万人が赤い服を着て参加。10月の国慶記念日も
同様だ。陳総統の地方視察にも赤服の人が現れる、服装は自由なので警察は
どうしようもない。
つぶやきも大勢になれば叫びになり、アイデアによって無言の抗議も出来る
ってこと、これって国民性もあるだろうね、先ずは日本では情熱エネルギー
の確保からしなきゃならないのかな、何かにつけて遠慮?し続ける国民性。
確かに闘争心の少ない国民の気はするが、だから噛み付く人は貴重な存在
として支持されたり、逆に出る杭は打たれるで無視されたり、誹謗されたり
日常生活でも、子供のいる人は経験があると思うけど、地域の集まりや学校の
委員会などでたとえば反対意見を言うと、「あの人は何者?」的な視線を貰い
意見を言う人間は常にその裏側で批判されることになる、何故か表では反論
されないことが多い・・面と向かって反論しろよこれも国民性なのか?
言論の自由の話とはちょっとずれてしまうかな、ただ大きな権力も、小市民生活
の小さな権力も組織や団体の長の采配次第だってことには変わりないような気が
する、批判はちゃんと受け止めて平常心で議論できる社会にならにゃあなるめぇ。
議論の場では、怒りや疑問があるからエネルギーも生まれるわけで、平常心って
いうのが、けっこう難しいんだけどもさ。
今日のうた。きこりは町に出た
木を切る (るる)
木を切る 血は出ない
年輪を数え たかだかだな
木を切る 丸い幹と対峙する
でも泣かない 君も泣かない
木を切る 枝を払う
裸になって 添い寝をする
木を切る 皮を剥いで
つるつるつる つくづくだ
木を切る 骨はない
髄の空洞に 息を吹き込む
木を切る 声が倒れる
こだまが一つ二つ 全部で三つ
木を切る たいしたことない
誰かがささやく
日暮のシャワー
浴びて梢に 耳をとられる
(写真は我が家の庭の木)
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