東京都の社会保険労務士のデイリーブログ 

東京都港区の社労士ブログ!人事労務から様々、ワンポイントレッスン

あるある?出来事

2020-03-30 22:58:40 | 社会保険労務士の日記
こんにちは。東京都の社会保険労務士という専門家の頼木(細木)優子〔Yuko Yoriki(Hosoki)〕です。

今日は、これまた子供の頃のあるある?出来事を書きたいと思います。

私が小学4年生(昭和58年1983年)の頃、当時埼玉県坂戸市に住んでおりました。最寄り駅は北坂戸という駅です。その北坂戸駅前に駅前ハイツという11階建てのマンションがあります。

その頃、クラスに引っ越してきたHさんという女の子は、そのマンションの10階?9階?8階?に住んでいて、たまたま私はその子のお宅に遊びに行きます。

ところがあいにく、その日はHさんのお母さんがご不在。Hさんご自身もおうちに入れません。幼い私は何しろそのマンションがどんな様子なのかを知りたくて、うずうずしておりました。

何かの事情で、おうちの窓は開いていて、隣人宅のベランダから少しは中が見える、ということを聞きだします。そこで私は、実際そのベランダから、のぞいてみたところ、いやこれならこのベランダをつたって、Hさん宅に入り、玄関を開けられそうだな、と確信します。
▲憎まれっ子、ではなくいたずらっ子世にはばかる?

そして、実行します。ベランダのコンクリート塀の上をつたって歩き下を見ると、そびえ立つ真下が見えます。そこを身体を横歩きにして、無事Hさん宅のベランダに足を下ろし、部屋に入り鍵を開け、Hさんと再会しました。

ところがHさんは、今度は自らが同じベランダの塀をつたうことをすぐ真似し、無事帰宅したHさんのお母さんにそれを報告、驚かせます。本当は鍵は開いたんですから、真似する必要性の事実ってあるぅ?とは、思いましたが。

そのマンションの内部の当時の印象は、私が小学3年生になる前(引っ越す前)住んでいた千葉県松戸市牧の原団地の方がよっぽどいい、あの頃に戻りたい、という悲しく懐かしむ幼心だったように思います。

Hさんのお宅は、女二人に弟一人の三人兄弟。お母さんが帰宅するとお腹が空いたと燕の巣の子燕のように三人でお母さんを取り囲んで、という姿が一人っ子の私には強烈に印象に残っています。

そう言えば、私は幼い頃からお腹を空かせて困った記憶がほとんど無くて、祖父からも「やっか?(福島弁?東北弁?)」とアルファベットビスケットや干し芋など、催促しなくても頂戴していました。恵まれていたんですね。

とにかく、この新型コロナ時、お子様の身のまわりには、充分気を付けてくださいね。私自身への、戒めもありまして。

以上、東京都の社労士(社会保険労務士)「頼木優子(Yuko Yoriki)」でした。

火遊び

2020-03-30 19:27:28 | 社会保険労務士の日記
こんにちは。東京都の社会保険労務士という専門家の頼木(細木)優子〔Yuko Yoriki(Hosoki)〕です。

今日は、「火遊び」について、書きたいと思います。

時は遡ること、私が小学4年生(昭和58年1983年)の頃、厳めしい祖父のおかげで、学校から帰宅後、相変わらず外出禁止で、一応机に向かって漢字の書き取りか、何かしておりました。

当時、マッチや叔父が使っていた煙草のライターなどが自宅にあり、それを2階の勉強部屋にこっそり持ち込んで、孤独にマッチをすって火を灯したり、ライターを付けてみては、アッちっち、というように。

ところがあるタイミングで、青白い炎が机周り周辺そして一部の壁に一気に燃え広がります。当時母は会社員として埼玉から都内へ出勤中。自宅に居りましたのは1階にいる祖父と祖母のみ。この事態に背筋が一瞬で凍りつきます。

慌てて水も無い中消しにかかり、とっさにあった傍の上着でバサバサと叩きつけるように、火めがけてひたすらそれをぶつけます。実はその様子が、当時読んでいた確か「大草原の小さな家」の本の中に挿絵の一つとして載っており、

それをただ真似ただけなのですが、運よく私の時は無事炎は消えたのです。しかし、その時の一瞬の戦慄、その恐怖は今でも蘇るほどです。この事実は、やはり今の今まで家族の誰にも知られず(もちろんご近所にも)今に至るのですが。
▲火気厳禁

新型コロナで、在宅していらっしゃるお子様方のお母さまやお父さま、シニアの皆様、充分気をつけてくださいね。想定外のことをしでかすのが、子供というものでもあると、自分自身を振返り思う次第です。

以上、東京都の社労士(社会保険労務士)「頼木優子(Yuko Yoriki)」でした。






 

大脱走

2020-03-30 17:56:41 | 社会保険労務士の日記
こんにちは。東京都の社会保険労務士という専門家の頼木(細木)優子〔Yuko Yoriki(Hosoki)〕です。

新型コロナとは、別の話題にしたいと思います。題して「大脱走」と銘打って、綴ります。

時はかれこれ遡ること、私が小学3-6年生(昭和57-60年1882-1985年)の頃、埼玉県のとある地域の母方祖父母宅へ、母の離婚に伴い移住し久しく経ったある日の冬のことです。

祖父はこの私を優秀な大学に入れたいと、一生懸命勉強を促す一環として、放課後外出禁止で勉強を強いるわけですが、私と言えば外で遊ぶことで頭の中は一杯、脱走を試みます。
▲大脱走

当時一戸建ての2階に私の勉強部屋がありました。そこから勉強机の脚に幅広のビニール紐をくくりつけ窓を通して、外の狭い庭地面に着くまで長く垂らし、その紐をつかみながらハーネスも無い中、時に這いつくばって一人っ子の私が降りていきます。

祖父に見つかったら一大事なわけですが、確かに無事両足が地面に一応着地できました。しかし、そこからが問題です。果たして元の部屋に自分は極秘に戻れるのだろうか、と心配になるわけです。

そこで、今度はまたもと来た壁と屋根をつたって2階の部屋に戻ることを試みます。なんとか辛くも人知れず部屋に戻ります。そこで、私は息絶えます。つまり、部屋の暖かさと共にもう緊張が一気に緩んで脱走する気が失せちゃうんです。

そんなことが2回ぐらいありましたでしょうか。結局その大脱走については最後まで家族の誰にも知られずに、今ここまで生きて来てるんですけど。自分を分析するに、意気地なしというか…?

元教師で警察官でもあった明治生まれの母方の私の祖父、父方の私の従兄も北海道で警察官をしていると風の便りに聞いています。こんな自分なんで、悪さは出来ないなぁと、しみじみ思い返してみては感じているこの頃です。

以上、東京都の社労士(社会保険労務士)「頼木優子(Yuko Yoriki)」でした。