九chan一家の富士登山(令和六年版)-富士ありて大和心あり。

平成29年、奇跡がおきどうやら311地獄から脱出したようです。こうなったら老い朽ちるまで続けるぞ、の富士登拝記。

週末のあれこれ(令和元年10月第2週)1

2019年10月15日 19時08分38秒 | Weblog

 三週間ぶりに実家に行きました。さすがに埃がたまってましたね~。

 一応すべての床に紙モップをかけましたが、あっという間に黒くなり、紙モップの表・裏だけでは足りませんでした。(汗)

 それはともかく・・・、

 今月の墨蹟カレンダーは、独坐大雄峰(どくざだいゆうほう)でした。

 カレンダーの解説は今一つ何だかな~、でしたが、下に載せた西村惠信氏の文章を読むとかなり納得しました。

 やはり元気が一番、ってことです。

 

 因みに私、学生のころほんの少しの間ですがなぜか西村さんにドイツ語を習ったことがあります。(但、”習った”というほのかな記憶とドイツ語の辞書が残っているだけですが・・・。(笑)

 若い頃、せっかく立派な人とのご縁もあったのに・・・、

 当時はそんなに偉い先生とは思えませんでした。(ほんと人を見る目がないです。)

 縁をいかせず今このざまか~、と思うと何か悲しくなります。

 それが私の運命なのでしょう。まア、それはそれで良し、と致します。

 


独坐大雄峰

西村惠信著・2010.07 禅文化研究所刊)より

「今、此処にいる素晴らしさ」

―独坐大雄峰―(『碧巌録』二十六則)

僧が百丈懐海和尚にむかって、「如何なるか是れ奇特の事」(この世の中で、最も素晴らしいことは何ですか)と尋ねた。すると百丈は「独坐大雄峰」(この百丈山にこうしてどっかりと坐っていること)と答えた。

もし誰かがあなたに向かって「この世で最も素晴らしいことは何か」と聞いてきたら、あなたは何と答えるか。もとより人それぞれに答えは違うであろう。なぜならば「価値観」が、人によって異なるからである。
 ある人は「お金持ちになることだ」と言うであろう。ある人は「とんでもない、金なんかいくらあっても、死んでしまったらお仕舞いだ」と言う。ある人は、「人は死んで名を残すというではないか。後世に名を残すことだ」と言って名誉を重んじる。
 しかし、これらのことはすべて、現実に元気で生きているということがあって、初めてできる話であろう。病いの床に臥したり、死に臨んでしまった人にとって、何程の価値もないものだ。
 するとやはり一番大事なことは、地位でも名誉でも、また財産でもない。それはなんといっても、今ここにこうして元気で生きていることであろう。にもかかわらずわれわれは日常、この素晴らしい「事実」に気づかず、何かもっとよいことはなかろうかと、明けても暮れても右往左往している。何という愚かなことであろうか。
 人から「お金持ちですね」と言われたり、「あなたは立派に出世された偉い方ですね」などと言われて「有り難う」と返すのはどこかおかしい。しかし、「あなたはお元気ですね」とか、「お若く見えますね」などと言われたら、胸を張って「有り難うございます」とか「お陰様で」とか言うべきである。元気で有ることが難しいから「有り難し」であり、老いやすいものが若々しいのは「有り難い」からである。

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