和楽の会民謡(唄、三味線、尺八、太鼓、箏 etc..)

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私は一体、何のために唄をうたっているのだろうか

2018-01-18 15:43:24 | 音戸の舟唄 (呉市音戸町)
和楽の会民謡ファンのみなさま こんにちは  ゆうさん 音戸大会も もうすぐだというのに 自分が何のために唄を歌うのか正直、わからなくなってるんですよ  つまり目的が定かではないのですね  昔は、ただひたすら決勝に残ってみたくて ガムシャラに頑張っていたんです。 ある時、仲間の民謡人さんが「優勝者のマネをすればいいじゃないですか」とアドバイスをくださった。 だけども、私が昔からやってるのは、自分の好きな節回しや唄い方をヒントに混合して自分流に組み立てて、唄いたいように作っていったのでした。

その優勝のマネをするっていうアドバイスをくださった方はですね、今となっては各地で優勝しているすご腕の民謡人さんですが、とにかく優勝することを主眼に考えられていた。 つまり、民謡大会に出場するなら、そこで1番にならなきゃ大会に出る意味がないのだと私には聞こえたのでしたが  私は、近年、優勝者の唄が必ずしも1番だなんて ぜんぜん考えなくなっていたのですよ  技術が高いから1番なのか 声が通るから1番なのか いや、着物の着こなしが素晴らしいからもあるかもしれません。

とにかく、私個人に取りましては、1番っていうことに興味が強かったのは、3年前くらいまででした。 正直、私のレベルでは優勝なんてとても無理ですが、それだからこそ毎年のように一般の部に出場できるわけでしてね  間違えて優勝でもしてしまえば、お役御免で一般の部に出場できなくなるわけでしてね  その場合に、競技に出ないのに この音戸の舟唄の技術力を維持するだなんて本当に難しいものだと痛感しております。

それは、私が一観覧者として席から眺めていて、名人戦を観覧した際に(5年前の) 皆さん、一歳取られることも理由にあるのかもわからないのですが、やはり優勝した時の技術力というものを、ちゃんと維持されておられる優勝者さんが、ほとんどいらっしゃらないように感じました。 それは、名人戦といいますのは、5年に1度しか開催されないわけであり、一般の部門に於きましては出場が出来ないからだと感じられました。 もしも、自分も優勝者であったならば、出場できない大会のために事前に練習など必死で行いませんからね 

なので名人戦にて、優勝された時の勢い、高い技術力、人生を生き抜く魅力を唄に込め表現することの難しさを、私は観覧者として眺めているのです  あの舞台に立つことは、恐らくはないでしょうが・・ 私としては、勝つことなどよりも、毎年、この舞台に出場をさせていただけるということに心から感謝しておるのでございます。 今年もあと少しとなりましたが、競技仲間の皆様と久しぶりに顔を見せ合い、見事な着物姿や袴姿、櫓漕ぎの衣装などで再会できることを、とても楽しみにしております。

音戸の舟唄は、優勝したら終わりだなんてことは、ありません。 優勝できなかった人は劣るなんてことも全くございません。 私にとって素晴らしい舟唄を歌われる民謡人の申しますのは、人間として、人として、人から慕われ、魅力を持ち、放ち、試練も潜り抜けて優しささえも持ち合わせている方、つまり、技術や地位など全く関係ございません。 1、2に人柄、3は魅力で4が技術だと思っています。 だから予選落ちの方の中に本物が潜んでいるということを毎年、感じているのでございます。 今年の予選も楽しみです。

そういえば、近年、兵庫県勢の活躍が輝き始めています  やっぱり人間性が素敵な方々ばかりです それが唄にちゃんと表れているのです  私もその魅力と唄に負けないように技術こそ 塩コショウのない 素朴な唄ですが、心だけは、同じく輝かせながら舞台上で唄いたいものですね  今年も皆さん、頑張りましょうぞ  本日もご拝読、誠にありがとうございました 


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