私はのど自慢に出場することが長年の夢でした 過去に広島県に何度か来た時があった時に応募してみたいという気持ちはあったのですが・・ なぜだか応募する気持ちにはなれなかったんです それはつまり・・ 自分の心の中になぜ出場したいのかという理由がはっきりと定まってはいなかったからだと思います
ただ唄が好きだからとかの理由でハガキを出しても・・ 多くの応募の中から選ばれる自信も全くございませんでしたし・・ 私はイヌも歩けば 棒に当たる などのような中途半端がどうも嫌いでして・・ だから呉市か、ここ江田島に来るまでは応募を控えておこうと思っていたのでした
今年の1月27日に呉市の音戸町で開かれた 第6回音戸の舟唄全国大会にて 私は念願の夢であった 決勝に残ることが奇跡的にできました 日本全国北は埼玉県、南は鹿児島県は奄美大島からの出場者、総勢115名の中から たった10名の中に私は入ったんです
そして・・ 信じられないことに 私は優秀賞(2位)をいただけました そのタイミングで呉にNHKのど自慢がやってくるとの噂をにしたわけでございます これはきっと運命なのだと思いましたし・・ ここで応募しなかったならもう二度とチャンスはない そう思ったんです 私は応募ハガキを書き 出しました
そしてまたまた奇跡的にも ハガキ抽選で選ばれたのでした もうこうなったら床屋のお店も2日間休業する覚悟で望もうと覚悟を決めておりました 仕事は景気は悪く厳しい状況です けれども・・ 私の夢だったこの僅かなチャンスを逃す気持ちにはなれませんでした
3月16日、朝からお店を閉め 私は母と合いの手の田村さんと共に呉市文化ホールを目指しました 江田島から呉市へはフェリーに乗って20分です。 そこの港から15分くらい歩けば到着です 呉市文化ホールにやっと到着できましたー
そこで私が感じたものは なんとバラエティー 豊な 素敵な人間の塊りー この表現は、老若男女さまざまな魅力を兼ね備えた人達がたくさんいるー ってことです 僕は人間をウォッチングするの好きなのですが いやー これだけ個性を高く持った人々が集まっているのを観るのは初めてかもー
正直、ビビリました その迫力というか・・ 250組の個性のパワーのすごさ オーラ といいましょうか 僕は、その時点で少し戦意を喪失ぎみになってしまっておりました こんなすごい感じの人達の塊りの中、250組という中からの たったの 20組なんて・・ そもそも NHKさんって・・ どうやって判断し決めてゆくのだろか疑問に思ったほどでした・・
こんなにすごい人達ばかりの中で自分が選ばれる可能性を少し頭の中に想像しただけで 正直、気が遠くなっておりましたので 私はなるべく考えないようにしていたのでした・・ 予選は開始されました・・ いやー 本当に唄が上手な方が多かったです
現在ではカラオケがどこでも歌える時代ですからねー そりゃー 技術も半端じゃないですもの 私は考えました これは技術では太刀打ちできない それならば・・ 心で勝負するしかない 技術のことはなるべく忘れて・・ 私は民謡を愛する気持ちを大切にし笑顔で唄うを第一にと考えました
その気持ちだけは高い意識を持てていると自分では思っていたんです 全国の民謡好きな おじいちゃん おばあちゃん達に 私の唄を愛するあたたかい気持ちが少しでも元気づけてあげられるならば 私は頑張れる 可能性は0ではございません とにかく予選の舞台の上に立てることに心の底から感謝致しまして 私は101番の舞台に立ったのです
「101番 音戸の舟唄 」 私は心を込めて唄い始めました ここで唄えるという幸せを噛み締めながら・・ もう二度と立つことはできないのだろうなと思いながら・・ 心から感謝しながら精一杯唄いました よしっ これで心に杭はないっ 自分のやるべきことは終わったのだと言い聞かせておりました
観覧席で他の出場者を観ておりますと あの人も合格 アレ、この人もだ イヤ、あの黒い衣装の方もいい唄を歌われるな~って・・ どんどん素晴らしい方々が歌ってゆくのを観ておりますと・・ 私はもう自分は駄目だと全く自信を失いかけていたのでした
そこで・・ 私は観ることを止めました 予選突破はやはり難しい でも素晴らしい経験ができたのだと自分に言い聞かせ・・ 夕方5時20分頃の本戦突破者の発表を待ったのです いやー なんともいえない表現のできない気持ちでした 油汗が出そうでした 通れる自信は・・ ほぼありません
結果発表は番号の若い順に発表されました こういう時には、自分の番号が近くなるまでは・・ なるべくたくさん呼ばれない方が確率的には上がる感じはします がしかし・・ 意外と100番以内に何人も多く呼ばれていたのでした いやー これは厳しい 101番なんて呼ばれずに超えるのだろうな~って怖がっておりました・・
「101番 音戸の舟唄を唄われた 島本さんと 田村さん」 ええええーーーー ホントなのー
正直、全く自信はありませんでした ただ会場からは大きな拍手をしていただいたことをしっかりと覚えております なんて皆さん温かいのでしょうね 人の当選を歓迎してあげる心の器の広さに私は感動してしまいました
私はその拍手をしてくださった観覧者さん(後方)に向けて深く一礼を致しました そして・・ 私は天国の父に向け 心の中でつぶやいたのです
父さん やったよ 俺、頑張ったよって・・
父は私に厳しく そして誰よりもやさしかった
そのお陰で 42年間、途中で命を投げることなく生きてこれているのでした 今年になって・・ なんか良いことばかりが起きておりましてね 母によく注意を受けるんですよ 良いことがたくさん起こる時には気をつけなさいってね 気を決して緩めてはダメなのよって 母に感謝です 皆様に感謝です
私はとうとう のど自慢に出演できる 夢を 掴んだのでした
明日へと続く~ ご拝読、誠にありがとうございました 明日は激闘編となる予定でございます
人気ブログランキングへ 呉市 のど自慢 突破の20名のお仲間さま 私から皆様に何も連絡できませんので・・ どなたかリーダーの連絡先を教えてくださる方、もしいらっしゃいましたら・・ 私にも教えてくださいませ どうぞ宜しくお願い申し上げます
ただ唄が好きだからとかの理由でハガキを出しても・・ 多くの応募の中から選ばれる自信も全くございませんでしたし・・ 私はイヌも歩けば 棒に当たる などのような中途半端がどうも嫌いでして・・ だから呉市か、ここ江田島に来るまでは応募を控えておこうと思っていたのでした
今年の1月27日に呉市の音戸町で開かれた 第6回音戸の舟唄全国大会にて 私は念願の夢であった 決勝に残ることが奇跡的にできました 日本全国北は埼玉県、南は鹿児島県は奄美大島からの出場者、総勢115名の中から たった10名の中に私は入ったんです
そして・・ 信じられないことに 私は優秀賞(2位)をいただけました そのタイミングで呉にNHKのど自慢がやってくるとの噂をにしたわけでございます これはきっと運命なのだと思いましたし・・ ここで応募しなかったならもう二度とチャンスはない そう思ったんです 私は応募ハガキを書き 出しました
そしてまたまた奇跡的にも ハガキ抽選で選ばれたのでした もうこうなったら床屋のお店も2日間休業する覚悟で望もうと覚悟を決めておりました 仕事は景気は悪く厳しい状況です けれども・・ 私の夢だったこの僅かなチャンスを逃す気持ちにはなれませんでした
3月16日、朝からお店を閉め 私は母と合いの手の田村さんと共に呉市文化ホールを目指しました 江田島から呉市へはフェリーに乗って20分です。 そこの港から15分くらい歩けば到着です 呉市文化ホールにやっと到着できましたー
そこで私が感じたものは なんとバラエティー 豊な 素敵な人間の塊りー この表現は、老若男女さまざまな魅力を兼ね備えた人達がたくさんいるー ってことです 僕は人間をウォッチングするの好きなのですが いやー これだけ個性を高く持った人々が集まっているのを観るのは初めてかもー
正直、ビビリました その迫力というか・・ 250組の個性のパワーのすごさ オーラ といいましょうか 僕は、その時点で少し戦意を喪失ぎみになってしまっておりました こんなすごい感じの人達の塊りの中、250組という中からの たったの 20組なんて・・ そもそも NHKさんって・・ どうやって判断し決めてゆくのだろか疑問に思ったほどでした・・
こんなにすごい人達ばかりの中で自分が選ばれる可能性を少し頭の中に想像しただけで 正直、気が遠くなっておりましたので 私はなるべく考えないようにしていたのでした・・ 予選は開始されました・・ いやー 本当に唄が上手な方が多かったです
現在ではカラオケがどこでも歌える時代ですからねー そりゃー 技術も半端じゃないですもの 私は考えました これは技術では太刀打ちできない それならば・・ 心で勝負するしかない 技術のことはなるべく忘れて・・ 私は民謡を愛する気持ちを大切にし笑顔で唄うを第一にと考えました
その気持ちだけは高い意識を持てていると自分では思っていたんです 全国の民謡好きな おじいちゃん おばあちゃん達に 私の唄を愛するあたたかい気持ちが少しでも元気づけてあげられるならば 私は頑張れる 可能性は0ではございません とにかく予選の舞台の上に立てることに心の底から感謝致しまして 私は101番の舞台に立ったのです
「101番 音戸の舟唄 」 私は心を込めて唄い始めました ここで唄えるという幸せを噛み締めながら・・ もう二度と立つことはできないのだろうなと思いながら・・ 心から感謝しながら精一杯唄いました よしっ これで心に杭はないっ 自分のやるべきことは終わったのだと言い聞かせておりました
観覧席で他の出場者を観ておりますと あの人も合格 アレ、この人もだ イヤ、あの黒い衣装の方もいい唄を歌われるな~って・・ どんどん素晴らしい方々が歌ってゆくのを観ておりますと・・ 私はもう自分は駄目だと全く自信を失いかけていたのでした
そこで・・ 私は観ることを止めました 予選突破はやはり難しい でも素晴らしい経験ができたのだと自分に言い聞かせ・・ 夕方5時20分頃の本戦突破者の発表を待ったのです いやー なんともいえない表現のできない気持ちでした 油汗が出そうでした 通れる自信は・・ ほぼありません
結果発表は番号の若い順に発表されました こういう時には、自分の番号が近くなるまでは・・ なるべくたくさん呼ばれない方が確率的には上がる感じはします がしかし・・ 意外と100番以内に何人も多く呼ばれていたのでした いやー これは厳しい 101番なんて呼ばれずに超えるのだろうな~って怖がっておりました・・
「101番 音戸の舟唄を唄われた 島本さんと 田村さん」 ええええーーーー ホントなのー
正直、全く自信はありませんでした ただ会場からは大きな拍手をしていただいたことをしっかりと覚えております なんて皆さん温かいのでしょうね 人の当選を歓迎してあげる心の器の広さに私は感動してしまいました
私はその拍手をしてくださった観覧者さん(後方)に向けて深く一礼を致しました そして・・ 私は天国の父に向け 心の中でつぶやいたのです
父さん やったよ 俺、頑張ったよって・・
父は私に厳しく そして誰よりもやさしかった
そのお陰で 42年間、途中で命を投げることなく生きてこれているのでした 今年になって・・ なんか良いことばかりが起きておりましてね 母によく注意を受けるんですよ 良いことがたくさん起こる時には気をつけなさいってね 気を決して緩めてはダメなのよって 母に感謝です 皆様に感謝です
私はとうとう のど自慢に出演できる 夢を 掴んだのでした
明日へと続く~ ご拝読、誠にありがとうございました 明日は激闘編となる予定でございます
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LINEしていますのでIDをお伝えしようと思っているのですが、どこに載せましょうか??
会の仲間としてうれしく思いました(^-^)