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 第9回 音戸の舟唄全国大会 決勝7番

2016-02-23 09:05:23 | 音戸の舟唄 (呉市音戸町)
第9回 音戸の舟唄全国大会 決勝7番


和楽民謡ファンの皆様 大変お待たせを致しました  って 「待ってたよー」って思ってくださったお方、いらっしゃいます  この間ね、床屋のお客様の中に私の唄声が好きだと言ってくださる方に「音戸の舟唄を唄いますから聴いてください」って伝えますと 「もう音戸の舟唄は飽きました」と笑顔で伝えてくださりましたー 

そうです ゆうさんの唄える民謡曲って・・ いつも音戸の舟唄ばっかりなんです  隠岐しげさ節もいちよ唄えるといえば唄いますが  私にとって隠岐しげさ節は、唄えると胸を張れるには、上級レベルが必要だと考えているのです 今の私のレベルで隠岐しげさ節が唄えますなんて言いますと・・ 隠岐では笑われます  それでも中級にて7位入賞出来ましたことは、私にとって希望の光となりました

私の心のお師匠のじろうさんが中級にて6位入賞しておりますので、そのラインが今の私の目標だからなのです そして何十年も頑張って、いつの日か上級に進級して、じろうさんやナシ先輩と唄の舞台で競いたい  近年、じろうさんが隠岐に渡ってこられなくなってしまって・・ 私はいつの時も歯が一本抜けたような寂しさを感じているのでございます  じろうさんの唄も素晴らしいですが、奥様のしげさ節もいやーお見事だったな~

話は音戸の舟唄決勝での私の唄になりますけれども、この舞台の前に公民館3階にて声出しをじろうさんの尺八伴奏と共に行った際には、とっても自分でも心地よい素晴らしい唄が唄えたのでした じろうさんも「今のよく声が出て音も合ってて良かったですねー」って褒めてくださったのでした  ところが・・  やはり決勝の舞台には魔物が住んでるのですね(自分の心の中に) 正直、今だから言えますけれども、同じように唄えたなら、もしかしたらもしかするかもと考えてしまっていたのでした 

そんな単純な男ですから 決勝の舞台では、想像を遥かに超える緊張感に襲われてしまいましてね(自分の甘さが招いてしまったこと) もう唄い始めから、この精神状態で練習の時のような満足いく唄を表現するのは不可能であると直感で感じてしまっていたのでした  決勝の舞台上にて練習の成果を出すということの難しさ  だが、これは私だけでは決してないのです。 決勝に進出された他の9名も全く同じ条件の中、あれだけ立派に唄われていたことは事実ですから  素晴らしいことですね本当に 

それにしてもです、こんな何も知らずに民謡を始めた私が4度も連続で決勝に残れたなんて、一体、誰が想像出来たことでしょうか・・ 予選を通過出来なかった方々の中に、本当に素晴らしい舟唄がたくさん存在しておりました  やはり民謡というものは本来は競うものでもなくて、素晴らしさ、味わいは、それぞれでして、だからこそ民謡なのだと私は思うのです。 私達競技者は一体、何のために競技大会に参加しているのでしょうか


1.技術向上のため 

2.自分の民謡表現を発表するため 

3.競技仲間との交流を楽しむため

4.少しでも頂を目指したいため


と様々な参加する理由がそこにあるように思われます。 私が8年もの間、民謡を自分なりに歩んできて  大きく感じたことがありました。 それらを書いて記しておこうと思います。


A.本場でしか味わえない優れた本物の民謡を直接肌で感じられたこと

この影響が自分の民謡の向上に向けて大きな原動力となったことは間違いありませんでした。 やはり本物に近づきたければ、本場に出向く必要があると私は考えるのです 

B.本場の土地の風土、人間模様、景色、そこに辿り着くまでの道程の全てが、自らの明日の民謡へと繋がりました

大会地が離れていれば離れているほどに手間や日数、お金、労力などが多大に掛かります が裏を返して表現致しますと、それを掛ければ掛ける分以上に自分の民謡心に更なる潤い貴重な経験を与えるために、掛かった犠牲以上に最も大切である自分を大きく飛躍させてくれる結果に繋がってゆくのだと私は考えているのでございます 

人間は生きてゆく上に於きまして、いつも何かを捨て 何かを選ばなければなりません  この私も誰からに捨てられ、そして誰かに救われ生きているのです。 私も誰かを諦めて誰かを求め生きてゆくのです。 結局、心の馬が合うもの同士を探しては結ばれ、民謡の世界は少しずつ構築されているのでしょうね(想像ですが)

私は決勝で今年も自分の思うように唄うことが出来なかった 考えてみますと私の場合、第6回の時の予選での唄が最も良い舟唄を唄うことが出来たように感じております。 あの時には病みあがりの時でしてね、舞台に立てることの喜びが余りに大きくて、それだけが自分の心に喜びを大きく与えてくれ 他の余計なことを一切考えずに済んだのでした  それが唄うには最高の心の状態であったということが全てだったと今では感じているのでございます。

第6回 音戸の舟唄全国大会 舞台に立てた喜びの舟唄

 

今回の決勝の唄の技術面においてですが、発声の安定感がないのと、音程も合っていない箇所が多いです 緊張からくる口や喉の力みや焦り、これでは何度決勝に残っても結果は同じことでしょう  せっかく伴奏者や合いの手は私にとりましては日本一ですのに誠に申し訳なく、また新たな気持ちで1年間、頑張って練習を積み重ねてゆきますので、ファンの皆様、どうか応援をこれからも宜しくお願い申し上げます  ご視聴、ご拝読、誠にありがとうございました 

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