和楽の会民謡(唄、三味線、尺八、太鼓、箏 etc..)

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 JR博多駅にて人が線路上に落下(2月9日朝9時 門司快速列車 停車中に)

2016-02-25 19:14:02 | 日記
          

2月9日朝9時頃、私は満員の快速電車に揺られ、博多駅に着いた。 広島に向かっていた途中だった。 出口に向かい電車を降りようと進んでいると、目の前の若いリュックを背負った若者が明らかに変な不安定な歩き方をしている。 ふらふらしているのだが貧血で倒れるわけでもなく、意識はもうろうとしている感じに私には見えた。 出口を出た途端、若者は勢いをやや増しながら・・ 乗車待ちをしている乗客に正面から衝突していった  ぶつかった若者は意識がもうろうとしながら、ぶつかったことによる事で倒れるわけでもなく、逆に反転をし、意識がわからない感じで逆に斜め歩きな感じで赤い車両と赤い車両の間に向けて、ふらふらと歩いていった。 

私は、これはやばいぞ!と思って、止めようと思ったのだったが、若者の方がそれより先に電車の角の丸い部分に額をまともに当てて、そのショックから電車と電車の間へと落下してしまった。 ただ運が良かったのが、落下してゆく若者は頭から落ちたのではなく、足側から落下したことが幸いであった。 彼は電車の下側に横たわった。 これは大変だと判断した私は即座に大声で叫んだ


 「人が線路に落下しましたー 電車を止めてください 


もし電車が気が付かずに出発をしてしまえば、彼の命が危ない  私は祈る思いであったのだった。 そして落下した若者が自分が落ちていることに気がつき、上体を起こして上を見ながら手を伸ばし始めた  それを観た他の乗客が彼の手を掴み、私も腕を手で掴んで、3名ほどで協力しながら若者をホームへと上げることに成功  彼は助かったのだ  私は和楽の会員の仲間と共に彼をベンチへと誘導をし座らせた。 彼は顔面蒼白になっている様子。 とにかく意識がどのくらいあるのか気になった私は彼に声を掛けた。


 「大丈夫ですか この質問は簡単ではあるのだが、意味をちゃんと理解をして受け応えが出来るなら、脳に大きな損傷はないと私は想像をした。 彼は元気なくも、うなずいた それにより、取り合えずは大事にまでは至らないように見えたのだが、念には念を入れて、救急車を要請した。 それから後に博多駅の鉄道員さんらしき制服を着た人達が6,7名やってきた。 実は、この出来事が起こった時に目撃者は何人もいたのであったのだが、時間帯が朝9時という通勤時間帯ということもあってなのか・・ 私達が救急車を要請した頃には、私達、和楽の会民謡のメンバー2名しか残っていなかったのであった。


つまり集まってくださった鉄道員さんに状況を説明出来るのは私達だけだった。 なので状況を説明する必要があると私は判断し、自分から鉄道員さんに近寄ってゆき、若者が出口を出る少し前あたりのことから救出したまでのことを簡単にまとめて伝えた。 それをしなければ、そこから立ち去れないとも思っていたのであった。 それが目撃者と救出した者としての責務であるようにも思えたからだった。 話は伝えたのだが、聞いた鉄道員さんは私にありがとうございましたとか一切言わず、更には、私の住所や氏名、連絡先を一切、聞こうとはしなかった。 

正直、私は、それでいいのだろうかとも思ったのだったが、私達はそこを立ち去った。 後から考えたのだが、これはあくまで想像の話になるのであるのだが、私が鉄道員さんに伝えた話は、鉄道員さんにとってみれば、実話なのか もしかしたら作り話なのか 幅広く考え、万が一のことまで考えれば、私が彼を落とした犯人かもしれないとも想像出来たのかもしれない。 このアクシデントに遭遇した私はといえば、少し良いことをしたのだという安心感を持ちつつも、正直にそのままあった事を説明したのであったのだが、話を聞いた方は、私がどんな人間なのかもわからない訳だし、話をやや強引に聞かされたと思われた可能性もあるのかもしれない(ただの想像です)

 こちらのお写真が私が去る前に撮影したものです。 左の見えないところに若者が座っておりました。 彼は赤と赤の車両の間の黒い影の部分に落下してしまったのでした。 降りた出口は手前ではなく向こう側の方です。

話を伝えた私は仲間と共に博多駅を去ったのだが、この出来事は全くニュースにもならなかった。 無論、私もブログでの発表を控えた(その時は) 今なら、もう拡張もしないであろう。 2016年の2月に私が経験した出来事として、このブログを私は70歳になった頃、懐かしみながら、これを読んでいるであろう  話は民謡に変わるのだが・・ それまでに一体私は、音戸の舟唄全国大会で優勝出来ているのだろうか 隠岐しげさ節で唄部門にて上級に在籍出来ているのであろうか 非常に楽しみである。 次にせっかくだから音戸大会後に起こった、ちょっとした小話を挟んで終わりにしたいと思います。

私と仲間がそれぞれに車に乗り、音戸大会会場を去ってゆく際、私は運転をしながら名残惜しそうに会場横をゆっくりと通りすぎていた  すると歩道に一人のスマホを眺めながら歩く美女がいた。 なんか見た覚えのあるお顔立ちだったが、どうも確信が持てない  あっ 腕には


  なんと 優勝トロフィーを抱えていらっしゃるじゃないか 


それで私は確信をした 今大会の日本一になられた方であった  確か熊本県からはるばるお越しだったな もう夜も遅くなってるし 私の車に乗っていただいて呉駅まで送ってあげたいなと私は直感で思った。 だが、後ろには仲間が車で付いてきている。 呉駅まで私がもし送るとなると、仲間の帰りが遅くなってしまうのと、それに男性が女性を車に誘うというのは、いくら母が隣に乗っているとはいえ、いや、そもそも優勝者が私の車になんか乗るはずがない 気軽にお声を掛けるのは、もしかしたら失礼になるかもしれないと私は正直ためらった。

心残りをしながら、車は無常にも優勝者と距離をどんどん離していった・・ 駄目な男だなーと自分を少し責めていた  そしたら、後続車の仲間が車の速度を一気に落とし停車していた  アレ なぜ車を止めたのだろうか 私にはわからなかった エンストでもしたんじゃなかろうか  もしかしてぇ~ん  そしたら、しばらくして優勝者の横にバスが止まり、乗車された  その後、バスは私達を追い越し(私達は横のスペースに停車させていた)去っていった。

そして私は仲間に聞いた「なぜ車を止めてたの」 すると仲間は答えた「私、人見知りする人間なんだけれども九州の人なら気が合うから、呉駅まで乗せてあげたいと思い、お声を掛けようと車を止めたら・・ 後ろからバスがやってきたので、それに乗られたので安心したんよ」 「あー 送ってあげれば良かった~ 少し迷ったんよね~」 それを聞いた私は、その仲間のやさしさに嬉しさを噛み締めた。 その心があるならば、これからの民謡がより楽しみになった 私は良い仲間を持てたことに感動したのであった。 更には音戸大会会場に、和楽の会に新たに入会してくださった いわさんが民謡仲間を連れて、私と仲間の唄を聴きに会場まで応援に駆けつけてくれていたのであった。

和楽の会民謡は、今は誰も知らないような存在感のない会である。 だが確かに会員は少ないが素晴らしい民謡心を備えた仲間がいる。 私が70歳になった頃、一体、どれだけの仲間が誕生をし、和楽荘に遊びに来てくださることであろうか  今から楽しみである。 和楽荘は只今、修復中にて、2階の和室の改装が終わった 和楽の会員(助っ人先生方も)であれば無料で宿泊し、音録りも可能である 和楽の会なら音録りも出来るのだと褒めてもらえるよう、私は伴奏楽器の技術も充分に磨いておくのが目標である。 本日もご拝読、誠にありがとうございました 

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