和楽の会民謡(唄、三味線、尺八、太鼓、箏 etc..)

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どちらも険しい道に見える

2014-02-26 20:36:29 | 日記
亡くなった父の言葉は生きている私の教科書である 父はここのブログに何度も登場したのだが本当に人から好かれる人間であった。 もし13年前に亡くなっていなければ・・ 私に良いアドバイスをくれたことであろう。 ただ父はこんなことを言い残している・・ 社会人になったなら、自己責任だがお前が好きなように生きてゆけばいい。 わしは文句はいわん・・ ただ自分のケツは自分で拭くんだぞ。 その時は、まだ若かったし言葉の深い意味など私には理解ができなかった。 私は小学校から中学、高校まで野球部で鍛えられた・・ だが正直、人付き合いが苦手であまり上手くはいかなった。 ただただ練習には遅刻をせず毎日まじめに通うタイプの人間だった。 面白いものですよね、父は非常に人から好かれ頼もしがられる男であったのに・・ 私はと言うと一人が得意な人間で人とのお付き合いは苦手。 もちろん民謡仲間が県外に何名かいるけれども・・ 会えたとしても、その日に少しだけ音を合わせられるくらいなのです。 いや、思い出した・・ ただお一人だけお名前は言えないのだが、泊めてくださった方がおられました。 こんなことは大変レアでございます。 思い出してみますと・・ 人付き合いが苦手な私に朝から食パンを2枚もご馳走してくださったり・・ ふっかふかのお布団で眠らせてくださったり・・ 実は、あの時の私は夢を観ているかのように嬉しかった あれは普通の嬉しさなんかじゃなかった・・

人に気を使いながら過ごすことがどちらかというと嫌いなので・・ だけどそのお仲間さんは、なぜだか気を使わせないような雰囲気を持っていたのだと今になって思うのです。 人付き合いが苦手な私に対しても普通に接してくださったり、それはそれは家族の一員のように笑顔で話をしてくださって・・ 本当に今となっては感謝しているのでございます。 私も民謡人を一度だけ泊めたことがあります。 その時も嬉しかったですし、楽しかったですし、一生の思い出です。 朝、一緒に口を色々な形に明けたりしながら散歩を楽しみ、本当に楽しかった。 人付き合いが苦手な私でも決して遠慮せずに朝風呂までリクエストしてくださったり、僕は本当に素晴らしい民謡の友を持てたものだと思っております。 心の栄養ですね

だけれども誰にも思い悩むことがあると思う。 どちらの道を選択しようかと迷うこともあると思う。 どちらもそれぞれに厳しそうであるのだが・・ それはいずれ心が自然と決めよう。 自然に任せて生きてゆけば良いと思う。 明日は明日の風が吹く という詩が民謡にはある。 今の私には、それしか生きてゆく望みはない。 ピッタリである。 心というものは本当に不思議なもので・・ 心に嘘を突き通して生きていると必ず限界が来るように設定されている。 限界が来れば、突然に泣き崩れたり、体を大きく動かし、瞬間的に溜まってしまっている悪いストレスを体外に出してやるように人間の体は作られているようである。 そして心というのは、受け入れるストレスの容量が決まっている。 ストレスは、出来ることなら早い段階で対処しておかないと後で大変なことに陥っていまうのでとても注意が必要だ。 私はストレスを感じてしまった時に何も言えず我慢をしてしまう悪い癖があった。 逆の立場をすぐに考えてしまい・・ 自分だったら言われたくないだろうと考えては、その場を何も起こらなかったかのように やり過ごしてきた 今、思えば一番やってはいけないやり方であった。 そのやり方だと相手に対して何も言えないくせに自分の心の中では大きなストレスという傷を負うことになってしまう・・ だがもっといけないのは、その傷をその場で放置しておくと、後の時代で傷のウミとして現れてくるのだ。 これは自分の対処が間違えている責任が非常に大きい。 対処を間違え、人を恨むことに繋がってしまう悪循環。 だが、今の私にとって・・ その失敗の原因を自分自身で発見できたことは非常に大きい。

人間のしくみは非常に巧妙である。 脳が危険だと判断すれば、迷うことなく行動を指令するように作られている。 ただ、ここで注意しなければならないのは、誰でも安全な行動を取れるという保障などはない。 人によっては、迷惑な行動を起こす人もいれば危険な行動に発展してしまうケースもある。 私がとても恵まれていたのは、亡くなった父の存在であったのだ・・ もし自分が小さな頃から野球部で心技体を全く鍛えられていなかったと想像した場合・・ 恐らく私は完全に故障してしまったであろう。 私がこうしてなんとか毎日働き民謡を行えているのは、間違いなく父の私への愛の厳しい試練のプレゼントのお陰だった。 私は若い頃、父に本気でたまに怒られていた・・ 父は怒ると怖かったが、愛情深い人間であり、とてもやさしかった。 だから怒られた後は、自分の中で反省をし、冷たい水で顔を洗ったような爽快感が私を包んでくれていたのでした。

私は父から怒られ愛を感じていた。 父さん、ありがとう オレ、なんとか生きているよ。 父さんのお陰で社会の厳しさに立ち向かっているんだよ。 僕が人生を全うするまで待っていておくれ。 どうか高い高い天より僕の活躍を見守っておくれ。 母さんのことは僕が守るから心配しないで欲しい。 二人でなんとか生きてゆくから。 またお墓に草を刈りにゆくから楽しみに待っててね。 またお墓の前で音戸の舟唄を歌わせてね

第6回 音戸の舟唄全国大会 ゼッケンナンバー 20番


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