私はアンビリーバボーを観て 今日も心から泣けた 私は人と同じが意外と好まなくて変わり者だと言われることがある 確かに私は自分でも変わっていると思ってます 世間では男は涙を見せるものではないと言う・・
だが私にはあてはまらない 私は泣ける材料があれば・・(アンビリーバボーの感動シーンなど)進んで観て感動して泣く・・ 人間は泣くと・・ 幾分悲しみが引き 癒される 私は鏡の前に立ち
流れる涙を眺め・・ 今まで一生懸命に耐え生きてきた自分に向かって
「 よく 今まで頑張ってここまで生きてくれた 本当にありがとう 」 と自分自身を称えてやった
人は僕がどうやって生きてきたのかなんて知らない それに僕もどこが悪かったのかも見えてはいないのだ つまり誰のせいでもない けれども人生というのは厳しい 世間も厳しい だからこそ裏を返せば生き甲斐は高い
私は、最近になって・・ 僅かづつではあるが・・ どうも良いことが多くなってきたように思う それも裏を返せば・・ 今まで辛い思いを重ね耐え生きてきたからこそ見せるようになった視野の広さがある・・ 若い頃は二本の足で歩くことは当たり前であった・・
しかし、今の私は当たり前だと全く思わないように変わった 二本の足で立てるということの有難さが身に染みたからだ 民謡の舞台に二本の足で立てるという幸せに気がつくのに42年と半年かかったということになる 音戸の舟唄に毎回出場されている奈良県の競技者がいる。
その方は毎回松葉杖を両手で支え立ち唄っている 想像もつかない苦労をされたことだろうと思うし僕は脱帽する。 その方の唄にはやはり心がある 民謡というものは、苦労や有難さに気がつくような人間に成長をしないと・・ いつまで経っても人の心に響く 本物の民謡を表現することなんてできないと私は考えるているのである
だから私はこう思うことにした・・ 今までの誰にもわからない辛さは・・ きっと僕への通らねばならない試練だし・・ それを乗り越えた向こうには夢が待っているのだと 以前の私の夢は日本一であった・・ だけど日本一になったらいったい何になるのだろうか・・
自分の志がよほどしっかりとしていないと・・ 日本一になり有名になってしまったなら・・ 今度は自分の心を戒める必要が出てくるし難しくなると私は考えている。 民謡に邪念が入っては絶対にならない。 勝ちたいとか・・ 一番になりたいと思うのは練習をするモチベーションを保つために過ぎない。
それらは全て私の持論であります。 私が考える最も大切なことは・・ 人を感動させる前に 自分の唄が・・ 自分の三味線の音色が・・ 自分で感動できなければならないのである その為にはどうしたら良いのか自分で考える そこが民謡の発見であり楽しみの一つである。
ある職人さんが見習いに言葉で教えない理由を述べたのをテレビで観たことがある 見習いは早く短時間で上達したがる がしかし・・ 職や技を身につけるのに訳もわからずただやり方だけを言葉で教え込まれて覚えたとしても・・ それは本当に自分の身につかないし意味がしっかりわかってないから定着しにくい
良い職人さんほど、見習いには見て自分で覚えろという 投げかける言葉多くなればなるほどに 聞く側には頭に入らなくなってくる・・ 本物の職人は上から言われなくても真剣にその技を盗もうと努力をするものだ 私だって・・ どれだけ頭を下げては上級者さんにお願いして技術を見せてもらったり学んだことだか
やはり上手くなりたければ・・ 本土に渡るしかないのである 10年本州でしげさ節を練習するよりも・・ 1年でも早く隠岐にわたる者の方が その先では上に行ける 音戸で上に行きたければ・・ まずは音戸の風景を足を運んで見るくらいの根性がなければ無理だと思う
隠岐に渡れば 隠岐の景色を観て学べ 人と接して学べ 隠岐民謡とふれあって体で感じ 競技を通して親交を深めることができるのだ こんなに素晴らしい教科書は・・ 本州には残念ながら見当たらない
自分を伸ばすコツを知っている人は 色々なものに目を向け さまざまなものを観ては感じとり 自分の心の肥やしとする 肥やしが豊かな人間には魅力が増し そのような人間には人間が集まってくるのである
その人間同士が交流すれば それが力となり大きな原動力へと成長をしてゆく 見る目のある人は・・ それを早い段階から見抜く目と心を備えている そういった心や目も・・ さまざまな人生経験を超えていないと身につくことなどない。
人との交流をチャンスと見るか 危険だと判断するのかは自分自身の経験と判断である 私は何かを判断しなければならない時・・ 自分自身の心に問う そして気持ちに無理が生じて迷ったなら止める あいまいにするのは良くはならない。
迷うくらいなら止めておくのが最善だ 迷っているような力では突破はできないからである それに後に後悔をしないための防御策ともなろう 人間は失敗をして本物が身につくのだ 失敗を行う前から恐れているようでは前には舟は進めないのである
夢は叶えるために ずっと待ってくれているもの 逃げはしない 諦めなければ いつかは叶うものである
人気ブログランキングへ 人生、たまには嬉しいこともあってもいいじゃないか 悲しいことや辛いことが多ければ多いほど人は磨かれてゆくのだから・・ その深さで喜びは倍増されてゆくのだから・・
だが私にはあてはまらない 私は泣ける材料があれば・・(アンビリーバボーの感動シーンなど)進んで観て感動して泣く・・ 人間は泣くと・・ 幾分悲しみが引き 癒される 私は鏡の前に立ち
流れる涙を眺め・・ 今まで一生懸命に耐え生きてきた自分に向かって
「 よく 今まで頑張ってここまで生きてくれた 本当にありがとう 」 と自分自身を称えてやった
人は僕がどうやって生きてきたのかなんて知らない それに僕もどこが悪かったのかも見えてはいないのだ つまり誰のせいでもない けれども人生というのは厳しい 世間も厳しい だからこそ裏を返せば生き甲斐は高い
私は、最近になって・・ 僅かづつではあるが・・ どうも良いことが多くなってきたように思う それも裏を返せば・・ 今まで辛い思いを重ね耐え生きてきたからこそ見せるようになった視野の広さがある・・ 若い頃は二本の足で歩くことは当たり前であった・・
しかし、今の私は当たり前だと全く思わないように変わった 二本の足で立てるということの有難さが身に染みたからだ 民謡の舞台に二本の足で立てるという幸せに気がつくのに42年と半年かかったということになる 音戸の舟唄に毎回出場されている奈良県の競技者がいる。
その方は毎回松葉杖を両手で支え立ち唄っている 想像もつかない苦労をされたことだろうと思うし僕は脱帽する。 その方の唄にはやはり心がある 民謡というものは、苦労や有難さに気がつくような人間に成長をしないと・・ いつまで経っても人の心に響く 本物の民謡を表現することなんてできないと私は考えるているのである
だから私はこう思うことにした・・ 今までの誰にもわからない辛さは・・ きっと僕への通らねばならない試練だし・・ それを乗り越えた向こうには夢が待っているのだと 以前の私の夢は日本一であった・・ だけど日本一になったらいったい何になるのだろうか・・
自分の志がよほどしっかりとしていないと・・ 日本一になり有名になってしまったなら・・ 今度は自分の心を戒める必要が出てくるし難しくなると私は考えている。 民謡に邪念が入っては絶対にならない。 勝ちたいとか・・ 一番になりたいと思うのは練習をするモチベーションを保つために過ぎない。
それらは全て私の持論であります。 私が考える最も大切なことは・・ 人を感動させる前に 自分の唄が・・ 自分の三味線の音色が・・ 自分で感動できなければならないのである その為にはどうしたら良いのか自分で考える そこが民謡の発見であり楽しみの一つである。
ある職人さんが見習いに言葉で教えない理由を述べたのをテレビで観たことがある 見習いは早く短時間で上達したがる がしかし・・ 職や技を身につけるのに訳もわからずただやり方だけを言葉で教え込まれて覚えたとしても・・ それは本当に自分の身につかないし意味がしっかりわかってないから定着しにくい
良い職人さんほど、見習いには見て自分で覚えろという 投げかける言葉多くなればなるほどに 聞く側には頭に入らなくなってくる・・ 本物の職人は上から言われなくても真剣にその技を盗もうと努力をするものだ 私だって・・ どれだけ頭を下げては上級者さんにお願いして技術を見せてもらったり学んだことだか
やはり上手くなりたければ・・ 本土に渡るしかないのである 10年本州でしげさ節を練習するよりも・・ 1年でも早く隠岐にわたる者の方が その先では上に行ける 音戸で上に行きたければ・・ まずは音戸の風景を足を運んで見るくらいの根性がなければ無理だと思う
隠岐に渡れば 隠岐の景色を観て学べ 人と接して学べ 隠岐民謡とふれあって体で感じ 競技を通して親交を深めることができるのだ こんなに素晴らしい教科書は・・ 本州には残念ながら見当たらない
自分を伸ばすコツを知っている人は 色々なものに目を向け さまざまなものを観ては感じとり 自分の心の肥やしとする 肥やしが豊かな人間には魅力が増し そのような人間には人間が集まってくるのである
その人間同士が交流すれば それが力となり大きな原動力へと成長をしてゆく 見る目のある人は・・ それを早い段階から見抜く目と心を備えている そういった心や目も・・ さまざまな人生経験を超えていないと身につくことなどない。
人との交流をチャンスと見るか 危険だと判断するのかは自分自身の経験と判断である 私は何かを判断しなければならない時・・ 自分自身の心に問う そして気持ちに無理が生じて迷ったなら止める あいまいにするのは良くはならない。
迷うくらいなら止めておくのが最善だ 迷っているような力では突破はできないからである それに後に後悔をしないための防御策ともなろう 人間は失敗をして本物が身につくのだ 失敗を行う前から恐れているようでは前には舟は進めないのである
夢は叶えるために ずっと待ってくれているもの 逃げはしない 諦めなければ いつかは叶うものである
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