113名のファンの方々、昨日は閲覧してくださりまして誠にありがとうございました きょうはいよいよスイスへと旅立つ日がやって参りましたよー どれだけ皆さんの心をもて遊ばせたことか ちゃーんと最後までご拝読いただきたいと思います
父と母と僕はまず江田島から兄の車で 関西空港を目指しました 普通だったら と 特急で行くのですが・・ やはりそこは節約です我慢です・・ 兄のお陰でやっと関西空港にたどり着けた3人・・ スキー旅行ですので スキー板にブーツ、スキーウエアー と大きな荷物だらけなんです
それらを抱えながらカウンターに向かい荷物をやっとの思いで預け いよいよ出国です ここからは関西空港(オーストリア航空にて)→ ウイーン空港 約12時間(オーストリアの首都) 更に乗り換えに2時間半ほどかかりました → 1時間半飛び ジュネーブ空港(スイス)に到着の行程でした こうして言葉を並べれば・・ なんの問題もないのでございますが・・ ここから父が次第に・・ 追い詰められてゆきます
私の父という男は、旅行の趣味など全くといっていいほどございません 従いまして・・ 長い距離を移動するなんてことは経験がないのです 長い距離を移動するためには長時間じっと椅子に座っておく必要がございます しかし・・ 父には私達には 考えられないほど苦痛だったのです 当時、飛行機内の後部座席の方には喫煙席が設けられておりました
ですので父は一人で喫煙席をとりました しかし・・ 隣に座っていたのは・・ 全く愛想のない人間だったのです いや、悪く表現してしまいました 正しくは、何も話かけられる雰囲気を持っていない人だったんだと父は証言を残しております 12時間も 何もしゃべらずじっとしておくことというのは父には辛かったらしいです
私や母は前の方の禁煙席でした ですので・・ その悪夢の12時間を私達は知るよしもなかったのです そしてやっとオーストリアのウイーン国際空港に到着した時のこと 父は僕らが知らない間に体も神経も疲れ果ててしまっていたのでした それが・・ 後にわかったのでございますが・・ 父が亡くなったのは・・ このスイスのスキー旅行から2年後に末期ガンによりこの世を去ったのでした
つまり・・ このスイスツアーの時には、すでに体調は良くはなかった可能性が高いのです くたびれきった父は・・ ウイーン空港の室内のイスに横たわってしまい 「俺はくるんじゃなかった こんな旅行 体がしんどうてやれん(体が非常に疲れてしまいどうしようもない) わしゃー 日本へ帰る 」 その時の父の怒りようときたら・・ かわいそうな感じでございました
本当に帰ることもできず・・ 父はとうぶん横になり休んでいると やがて・・ 少し元気になったのか・・ はたまたお腹が空いたのか・・ 母を誘って 軽食できるレストランに行きました 言葉は話せないはずなのに・・ スイスフランを持って 母の話では・・ 父は・・ 「スイスフランOK」とスマイルで聞いたらしいです なかなかやるじゃん おやじ
そうこうしてやっとスイス行きの飛行機に乗り・・ 1時間半後 やっとの思いで スイスジュネーブ国際空港に無事3名、到着できたのでしたー もう着いたら夜で・・ ノボテルエアポートという名前の空港から近くのホテルに宿泊することになりました・・ ホテルの部屋に着き、ホットしましたー 3人ともバテてました(疲れておりました) 特に父には辛かったみたいで元気はありませんでした 明日からのスイス旅行に望みを賭けるしかなかったのです
私達は・・ その一抹の夢に望みを託し・・ その夜グッスリと眠りについたのでした 続く~
人気ブログランキングへ 毎度、ご拝読、誠にありがとうございます ゆうさん家族・・ いったいどうなることやら・・ 爆発寸前の父とのスリルに満ちたスイス旅行 明日はいったいどうなるんでしょうかー さいなら さいなら さいなら
父と母と僕はまず江田島から兄の車で 関西空港を目指しました 普通だったら と 特急で行くのですが・・ やはりそこは節約です我慢です・・ 兄のお陰でやっと関西空港にたどり着けた3人・・ スキー旅行ですので スキー板にブーツ、スキーウエアー と大きな荷物だらけなんです
それらを抱えながらカウンターに向かい荷物をやっとの思いで預け いよいよ出国です ここからは関西空港(オーストリア航空にて)→ ウイーン空港 約12時間(オーストリアの首都) 更に乗り換えに2時間半ほどかかりました → 1時間半飛び ジュネーブ空港(スイス)に到着の行程でした こうして言葉を並べれば・・ なんの問題もないのでございますが・・ ここから父が次第に・・ 追い詰められてゆきます
私の父という男は、旅行の趣味など全くといっていいほどございません 従いまして・・ 長い距離を移動するなんてことは経験がないのです 長い距離を移動するためには長時間じっと椅子に座っておく必要がございます しかし・・ 父には私達には 考えられないほど苦痛だったのです 当時、飛行機内の後部座席の方には喫煙席が設けられておりました
ですので父は一人で喫煙席をとりました しかし・・ 隣に座っていたのは・・ 全く愛想のない人間だったのです いや、悪く表現してしまいました 正しくは、何も話かけられる雰囲気を持っていない人だったんだと父は証言を残しております 12時間も 何もしゃべらずじっとしておくことというのは父には辛かったらしいです
私や母は前の方の禁煙席でした ですので・・ その悪夢の12時間を私達は知るよしもなかったのです そしてやっとオーストリアのウイーン国際空港に到着した時のこと 父は僕らが知らない間に体も神経も疲れ果ててしまっていたのでした それが・・ 後にわかったのでございますが・・ 父が亡くなったのは・・ このスイスのスキー旅行から2年後に末期ガンによりこの世を去ったのでした
つまり・・ このスイスツアーの時には、すでに体調は良くはなかった可能性が高いのです くたびれきった父は・・ ウイーン空港の室内のイスに横たわってしまい 「俺はくるんじゃなかった こんな旅行 体がしんどうてやれん(体が非常に疲れてしまいどうしようもない) わしゃー 日本へ帰る 」 その時の父の怒りようときたら・・ かわいそうな感じでございました
本当に帰ることもできず・・ 父はとうぶん横になり休んでいると やがて・・ 少し元気になったのか・・ はたまたお腹が空いたのか・・ 母を誘って 軽食できるレストランに行きました 言葉は話せないはずなのに・・ スイスフランを持って 母の話では・・ 父は・・ 「スイスフランOK」とスマイルで聞いたらしいです なかなかやるじゃん おやじ
そうこうしてやっとスイス行きの飛行機に乗り・・ 1時間半後 やっとの思いで スイスジュネーブ国際空港に無事3名、到着できたのでしたー もう着いたら夜で・・ ノボテルエアポートという名前の空港から近くのホテルに宿泊することになりました・・ ホテルの部屋に着き、ホットしましたー 3人ともバテてました(疲れておりました) 特に父には辛かったみたいで元気はありませんでした 明日からのスイス旅行に望みを賭けるしかなかったのです
私達は・・ その一抹の夢に望みを託し・・ その夜グッスリと眠りについたのでした 続く~
人気ブログランキングへ 毎度、ご拝読、誠にありがとうございます ゆうさん家族・・ いったいどうなることやら・・ 爆発寸前の父とのスリルに満ちたスイス旅行 明日はいったいどうなるんでしょうかー さいなら さいなら さいなら
テレビの連続ものも・・ それなのよ(笑) あすをお楽しみにぃ~
ゆうさんは一人っ子じゃなく末っ子だったのね(*^^*)あ~、明日が楽しみ~♪ヽ(´▽`)/