*このお写真は、隠岐の島の ローソク島の風景でございます(*サイトから借りております)
隠岐しげさ節コンクール東京大会がいよいよ開催されました
私は初めての東京大会に興奮を隠せなく・・ カメラをセットすること
すら忘れてしまいまして・・ な な なんとー せっかく 総合 3位に
なれた三味線の私の弾く姿を映せませんでした
その訳は・・ 豊島公開堂の地下の廊下にありました 同じ三味線に出場する競技者や・・
伴奏者の方達が・・ マイ三味線を出して・・ シャンシャンと・・
素晴らしい音色 を立て始めたからでした
三味線大好きな私にとって・・ それはもう・・ 金縛りに合うようなものでした
↑ 競技者であることさえ忘れてしまっていたのです~
私の先輩が弾いておりました三味線・・ 見た目はかなり年期が入っておりまして
キズもたくさん付いておりましたぁ~・・ けれども・・
音色が違うんです・・ 何年弾かれているのかは、わかりま
せんが・・ なんともいえない素晴らしい奥の深い音色に・・
私は釘漬物になってしまいまして ← 和楽の会の仲間が・・
順番の回ってきた私を呼びに下まで降りてきてくれたのでした
三味線というのは・・ 弾いてゆく歴史まで音色に生まれ
変わるのだと・・いうことを初めて学びました・・
その先輩に私の三味線を弾いていただきましたが・・ 同じような音色には・・
ならなかったです・・
それはすべて先輩の努力の賜物であり、最強の相棒であったのだと感じました・・
私も大先生から、今お預かりしております大事な大事な三味線を・・ 毎日愛して
弾き込みまして・・ 一緒に年月を重ねてゆこうと思いました・・
そうしてゆかないと音色も育ちませんからね・・
それと一番伝えたいこと・・ それは、この大会の主催者であります、
小沢千月先生が・・ 色々な民謡を私達みんなのために熱唱してくださいました・・
何度も歌詞を忘れてしまうご様子を見て・・ 私は逆に感動したのです
先生は、隠岐の民謡を全国のみんなに伝えるために全精力を傾けて最大限努力
されたのだな~って思いますと・・ 私は頭の下がるばかりで・・ 今まで・・
そんなことなど考えたこともありませんでした。
誰かが支えてくださっていて・・ 我々競技者が競える訳であります。 そんな
ことも考えず、競技で上を目指すことばかり考えていました自分が恥ずかしいです。
小沢先生・・ 先生が歌詞を忘れてくださったお陰で一歩えらくなれました
先生のしげさ節コンクール東京大会・・ 又、本土での全国大会に傾ける熱い情熱・・
私は生涯忘れません 先生の人を思いやる心・・ 気配りする姿勢・・
とっても美しかったです
私もわずかでも先生のような男になれるよう、これから勤めて参ろうと思いました。
この東京で体験した経験は・・ 後に私の土台となってくれることだと信じて
おります。 これもすべて小沢先生や隠岐民謡協会、大会に関わった関係者、
すべての方々・・ そして競技者・・ 観覧者の方々のお陰であると喜びで一杯です
どうかこれからもお体の方、気をつけて戴きまして、しげさ節、隠岐発展のために
どうぞよろしくお願い申し上げます。 私も微力ながら・・ 広島で隠岐民謡を
弾き続けますし、大会へも挑んで参ります。 誠にありがとうございました
いつも読んでくださり感謝です
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます