人を見抜ける人なんて滅多に存在しないと私は思う。 地位のある人や技術力のある人などを見れば誰だってわかるもの。 だけど未来を見越して才能が発掘されない内に、未だ発展途中である人の才能を見越して認めることの出来る人は稀だと私は感じている。 それでも本当に才能と器を持つ人間であれば、そこを見逃すはずがないと最近、私は考えるようになった。 私は最近、江田島市の中に一人の才能高き人物を発見した。 その人はまだ若いのだが、恐ろしいほどのセンスと才能を持ち合わせていることは間違いないと私は観ている。
だが、その才能を、その人がどう活かしてゆくのか とても楽しみにしている。 そして、それが未来、当たっていたとしたならば、私にも人を見抜く目があったという証拠となるわけである。 私は自分の人を見抜く目を試している。 才能を伸ばしてゆく人は、人がその人を見逃さないので、次々とチャンスが生まれては発生してゆく。 器と才能を持つ人は、あえて渦の中心に向かって飛び込むと言われているのだが・・ 残念ながら私にそんな勇気などありません 勿論です その勇気が私にもしあったならば、私はただの床屋になっていないのです。
ですが、今から17年前に亡くなった私の父はとてつもなく大きな器の持ち主でありました。 それ故に真反対の悪い癖も同時に持ち合わせておりましたので、母も家族も苦しみ抜きました。 だけど愛情のあるいい男で私は大好きだったんです。 父が元気だった頃、本当に様々な事を私に教えてくれたのです。 そのことは私の生涯の宝物です 私にもし生きるツールは何 と聴かれたならば、「父から習ったことです」と伝えます。 それだけ父の教えは私にとって大きな素晴らしいことだったのです 父は、人間からとても持てる男でした。
現在のお客様の中にも、父に世話になったから来ているんだよと私に伝えてくださるお客様は多いのです ここからは民謡の話です。 私が隠岐へ初めて渡った頃や2年目の頃、私は三味線や唄が上手になりたくて必死だったんです。 隠岐しげさ節が上手になりたくて、会に属さない私はビデオカメラを持参し、それに収めることにより、江田島に持ち帰っては、それを観て、自分なりの技術や味に育てるバイブルにしておりました。 私が今でも忘れられないのが、その当時、上級者でありました魅力高き一人の女性でした
その方は、私のことを一切知りません。 私は上手になりたくて、その方の三味線練習を撮影させていただきました 撮影をされていることに気がつかれましたが、私のことを温かく見守ってくださっていたのでした。 私は、その方に勇気を出して帰りのフェリーの中でも、弦を抑える指の立て具合などについて質問をさせていただきました。 今になって、そのことをお伺いしてみると全く覚えていないのだと、おっしゃいます。 だけど初心者の私は、その恩を忘れるわけがございません 私の中で、その上級さんは、生涯の恩を頂いた特別な憧れの存在になったということなのです
つまり、どこであなた様の技術や何かを求めて、誰がやってくるのかは、誰にもわからないのですが その対処方が、その人の民謡人生に灯りを点すか、又は閉ざしてしまうのか、全てが繋がっているということだと思うのです。 私が三味線が上達できたのは、その方の対応の素晴らしさのお陰です。 その憧れだった方と、1度だけ上級の表彰式時に一緒に並ぶ夢が叶ったことがございます それが私の民謡人生に於きまして、どれだけ嬉しく輝かしいことであったのかは、誰にもわかりません。 私だけの密かな喜びです
つまり、どこで誰が、あなた様のお陰様によって喜んでいる人が存在するのかは、わからないことだらけなのです。 私はこの間、東京に行って運命が変わったと感じております。 私が観れるはずもない場所に連れて行ってくださった民謡人さんが存在したからです 一生懸命に生きていると、滅多にないものですが、ある時、ふと誰から手を差し伸べてくれる時がございます ですが、差し伸べてもらえている人にも、それを良い目なのか良くない目であるのかを見分ける判断力が常に必要となってくるのでございます。
人を見抜く目を持つ稀な方は、それを的確に選ぶ能力を備えており、自然と力を差し伸べてくださる方々を呼び寄せるのです。 ですが、人間の付き合いというものは、時として風のようなものであり、吹いては届き、また吹いては去ることが自然です。 見放す者もいれば、発見し近寄る者もまた存在するものです。 それらの出会いも、全てはあなた様の心の采配が引き寄せるのです。 その采配は、幼少の頃から生きてこられた家族の環境であったり、出会ってきた先生方からよるもの、友人から学んだもの、それら全てから繋がっております。
今、自分の周りを取り囲む友人を観てみてくださいませ。 どうですか、素敵な方ばかりでしょ 皆さん、あなたを好む方ばかりですよね。 それらは、あなた様が引き寄せた方々であり、宝物です 私には、なぜだか器がないせいなのか、人よりも、楽器の方がたくさん集まってくるんですよ なぜかって それだけの器しか持ち合わせていないってことだと考えておりますよ だけどね、和楽器は、私に集まりたがっているんですよね。 それは、きっと私が色々な楽器に挑戦し、接しているからだと思うのです。
人とのお付き合いが下手で苦手な分、和楽器に愛情を注ぎ、これからも民謡を楽しみ生きてゆきたいと考えているのです。 どうか皆様、これからも宜しくお願い致しますね 本日もご拝読、誠にありがとうございました
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だが、その才能を、その人がどう活かしてゆくのか とても楽しみにしている。 そして、それが未来、当たっていたとしたならば、私にも人を見抜く目があったという証拠となるわけである。 私は自分の人を見抜く目を試している。 才能を伸ばしてゆく人は、人がその人を見逃さないので、次々とチャンスが生まれては発生してゆく。 器と才能を持つ人は、あえて渦の中心に向かって飛び込むと言われているのだが・・ 残念ながら私にそんな勇気などありません 勿論です その勇気が私にもしあったならば、私はただの床屋になっていないのです。
ですが、今から17年前に亡くなった私の父はとてつもなく大きな器の持ち主でありました。 それ故に真反対の悪い癖も同時に持ち合わせておりましたので、母も家族も苦しみ抜きました。 だけど愛情のあるいい男で私は大好きだったんです。 父が元気だった頃、本当に様々な事を私に教えてくれたのです。 そのことは私の生涯の宝物です 私にもし生きるツールは何 と聴かれたならば、「父から習ったことです」と伝えます。 それだけ父の教えは私にとって大きな素晴らしいことだったのです 父は、人間からとても持てる男でした。
現在のお客様の中にも、父に世話になったから来ているんだよと私に伝えてくださるお客様は多いのです ここからは民謡の話です。 私が隠岐へ初めて渡った頃や2年目の頃、私は三味線や唄が上手になりたくて必死だったんです。 隠岐しげさ節が上手になりたくて、会に属さない私はビデオカメラを持参し、それに収めることにより、江田島に持ち帰っては、それを観て、自分なりの技術や味に育てるバイブルにしておりました。 私が今でも忘れられないのが、その当時、上級者でありました魅力高き一人の女性でした
その方は、私のことを一切知りません。 私は上手になりたくて、その方の三味線練習を撮影させていただきました 撮影をされていることに気がつかれましたが、私のことを温かく見守ってくださっていたのでした。 私は、その方に勇気を出して帰りのフェリーの中でも、弦を抑える指の立て具合などについて質問をさせていただきました。 今になって、そのことをお伺いしてみると全く覚えていないのだと、おっしゃいます。 だけど初心者の私は、その恩を忘れるわけがございません 私の中で、その上級さんは、生涯の恩を頂いた特別な憧れの存在になったということなのです
つまり、どこであなた様の技術や何かを求めて、誰がやってくるのかは、誰にもわからないのですが その対処方が、その人の民謡人生に灯りを点すか、又は閉ざしてしまうのか、全てが繋がっているということだと思うのです。 私が三味線が上達できたのは、その方の対応の素晴らしさのお陰です。 その憧れだった方と、1度だけ上級の表彰式時に一緒に並ぶ夢が叶ったことがございます それが私の民謡人生に於きまして、どれだけ嬉しく輝かしいことであったのかは、誰にもわかりません。 私だけの密かな喜びです
つまり、どこで誰が、あなた様のお陰様によって喜んでいる人が存在するのかは、わからないことだらけなのです。 私はこの間、東京に行って運命が変わったと感じております。 私が観れるはずもない場所に連れて行ってくださった民謡人さんが存在したからです 一生懸命に生きていると、滅多にないものですが、ある時、ふと誰から手を差し伸べてくれる時がございます ですが、差し伸べてもらえている人にも、それを良い目なのか良くない目であるのかを見分ける判断力が常に必要となってくるのでございます。
人を見抜く目を持つ稀な方は、それを的確に選ぶ能力を備えており、自然と力を差し伸べてくださる方々を呼び寄せるのです。 ですが、人間の付き合いというものは、時として風のようなものであり、吹いては届き、また吹いては去ることが自然です。 見放す者もいれば、発見し近寄る者もまた存在するものです。 それらの出会いも、全てはあなた様の心の采配が引き寄せるのです。 その采配は、幼少の頃から生きてこられた家族の環境であったり、出会ってきた先生方からよるもの、友人から学んだもの、それら全てから繋がっております。
今、自分の周りを取り囲む友人を観てみてくださいませ。 どうですか、素敵な方ばかりでしょ 皆さん、あなたを好む方ばかりですよね。 それらは、あなた様が引き寄せた方々であり、宝物です 私には、なぜだか器がないせいなのか、人よりも、楽器の方がたくさん集まってくるんですよ なぜかって それだけの器しか持ち合わせていないってことだと考えておりますよ だけどね、和楽器は、私に集まりたがっているんですよね。 それは、きっと私が色々な楽器に挑戦し、接しているからだと思うのです。
人とのお付き合いが下手で苦手な分、和楽器に愛情を注ぎ、これからも民謡を楽しみ生きてゆきたいと考えているのです。 どうか皆様、これからも宜しくお願い致しますね 本日もご拝読、誠にありがとうございました
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三味線は皮が破れたら一大事!音色にこだわると高い皮が必要になりますし。
津軽三味線の皮の両面張り替えでそこそこ良いギターやウクレレが買えます。
したがって、同じ歌いながら弾ける楽器ならギターやウクレレを選ぶ人が多くなります。
和楽器のハードルが高い理由はお金です。
日本の楽器なのにおかしいですけどね。
しない方が多いのではないでしょうか。 私も
中古で最初は購入しましたが、それでも15万円
しました。
舞台を踏めるような立派な三味線で新品とも
なりますと、50万は越えます。 指導者クラスで
100万越えます。 最初は、中古で良いものを
三味線を弾かれている方に選んでお安く購入
していただくのが良いでしょうね。
中古でも良いものでも、安ければ10万ほどで
も素晴らしい音色を出せる三味線もあること
でしょう。 要は、どれだけ三味線に惚れる
のか!?に限ると考えます。
人間は惚れれば、高いモノも安く感じるもの
だと思うのです。 ちなみに皮は張り方にも
よると思いますが、よほど音色にこだわって
キツイ張り方をしない限り、長持ちするように
注文をして張ってもらえば、大事に弾いてい
れば、5年くらいは持つと思いますよ。
三味線の皮は毎日、音を出してくれることを
待ち望んでいます。 なぜなら、弾かなけれ
ば、皮が揺れないので固まりやすくなり柔軟
性が無くなってゆき→結果、破れやすくなって
しまうのです。
とにかく、三味線を始めるスタートは、安い
三味線をどなたからか借りて、まずは弾くこと
からです。 それで自分が好きになるのか、
興味を示すのかを試すことが最も大切です。
本当に自分に大切な楽器だと感じれば、高い
良いものでも、高く感じなくなるものなのですよ。
だから御年配の方が多いのです。
子供の頃、または若い頃からチャンスと才能に恵まれた方々はプロになられる方が多いように思います。
皆さん元を取るために多忙です。演奏活動に生徒さんのお稽古、夏は盆踊りの伴奏、暇があれば御自身のお稽古と休む暇がないようです。
盆踊りでも三味線を担当できる方が少ないので引っ張りだこのようですよ。
尺八は三味線に比べると経済的には助かりますが、良い音色を出すのが大変そうですね。
なかなか音が出ないと聞いたことがあります。
管楽器の場合は音を出しやすいサックスやオカリナあたりが人気です。