私は、実は未だに隠岐の先生方に御礼のお手紙も書けてはいない
それには自分なりの事情があった 先生方が私のお店を訪問してくださり、隠岐民謡を3曲も披露してくださった3曲目隠岐磯節にて、夢先生が私に向かって あるジェスチャーを投げかけてくださった
それは、両手を使い、尺八を鳴らすものだった
私は、あの時、非常に嬉しかった
プロの先生が素人の私に、尺八伴奏を求めてくださったという奇跡的な依頼に私は、隠岐しげさ節くらいしか、マネの出来ないことを寂しく思った 
私は大変、恐縮しながらも、先生に向かって、吹けないのです
と残念そうにお断りさせていただいた。 心の中で、せっかく夢の競演、第2幕のチャンスを振っていただいたのにー 私は、隠岐磯節を吹けないことに後悔をした
よしっ
それならば、出来るか出来ないかなんて後にして、隠岐民謡を自分なりに研究をしようと、尺八について、音源を探した
それが、意外にもネットの中に、あまりない
私は譜面は読めないので、音を探しては練習を重ねている
デジタル録音をしては、唄とバランスが取れているのか
を確認しては、自分なりに研究を重ね、少しでも良い曲になるように努力をしているのである 
だが、正直言って、尺八伴奏を入れようとしている、お相手さんは隠岐民謡のプロの先生方なので、私の尺八レベルが合うはずもなく
いや、それでも私は、どうしても諦めることが出来なかった。 とにかく、一番最初に練習をしたのは、隠岐磯節だった。 先生の唄は、1番と2番の歌い方、音程の流れが違うパターンなので、1番は、似たように吹けても、2番が難しい
うーん困った
こんな尺八伴奏を
にして送ったら・・ 隠岐大会の競技者として破門されるかもしれない
っていうか・・ 二度と江田島の地は踏んではもらえない可能性があると思った
だから、私は死ぬほど練習を重ねた 
これが、私じゃなく、じろうさんであったならば、レコーディングは、モノの10分で完璧に完了していたことであろう
あの人は、日本にいなくてはならない、そう、そんな大切な尺八奏者だから(
私、一人が思ってることなんですが
) 私は、尺八といえば、いつも彼ばかり頼りにして、甘えていた
だが、彼は、もう私のそばにはいない
もう甘えることも出来ないのである。 ならば、誰もやろうとはしない尺八を私がやらねば誰がやる
私は火がついたごとく、三味線も弾かず、尺八を吹く毎日だ
三味線が上手な人は、隠岐には、山ほど存在する。 だが尺八奏者は、大会でも必要がないためか、私は隠岐の尺八奏者を誰も知らない。 東京大会では、尺八が入るので、たくさん見かけたのであるのだが、私は隠岐では誰も知らないのです。
こんな素人の私でも、もしも、いつの日か、隠岐民謡の役に少しでも立てたならば、それは第二のふるさとへの恩返しにも繋がる可能性があるのだと考えるのです。 この世の中の誰が、ゆうさんが尺八を吹けるようになると思った方がおりましょうか。 譜面も読めない私が、マネ事をして遊んでいるだけ。 そう、そうなのですが、私一人だけは、大真面目に毎日、練習を重ねているのですよ。 だって、いつの日か、夢のコンサートを行おうとした時に、万が一、じろうさんが欠席されたとしても、コンサートが出来るようにしようと考えた時に、私が、そのパートを埋めることが、出来たならば(技術は随分と落ちてしまいますけれども
) それでも、尺八がいない方がマシだなんて、人が感じないくらいのレベルに僕はなりたいのです 
隠岐も、そうですが、音戸だって同じです。 いつの日か、ゆうさんに尺八伴奏をお願いしたい
などと、絶世の美女と美男に言われたいじゃないですか
そんな夢を持っててもいいじゃないですか
話は随分と横にそれましたが
今、現在、やっと、やっと、2週間、練習を重ねましてね
石井先生のしょうじろうの尺八伴奏を入れてみたのです。 隠岐しげさ節は、もう1パート尺八を入れ、ステレオ効果を狙い入れました。 問題は、やはり、夢先生の隠岐磯節
これが、もっとも難しいのです 
あの先生の2番の唄の高い部分や低く唄う部分の清らかな音を活かしつつ殺すことなく、尺八伴奏の音を仲間入りさせる技術をつけるってのは、本当に難しいのです
だけれども、尺八ってのは、そこが、最も遣り甲斐のある部分であり、誰もやらないパートだからこそ、やる価値も高いのだと感じているのでございます。 もし先生方がご不満に思われてもいけませんのでね、尺八パートが入らない、動画のままのデジタル音源の
も、合わせてプレゼントさせていただこうと考えているのですが、いつ完成するやら 
完成をしたら、お手紙添えて出したいと夢観てるんですよー
本日もご拝読、誠にだんだん 
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私は大変、恐縮しながらも、先生に向かって、吹けないのです








だが、正直言って、尺八伴奏を入れようとしている、お相手さんは隠岐民謡のプロの先生方なので、私の尺八レベルが合うはずもなく







これが、私じゃなく、じろうさんであったならば、レコーディングは、モノの10分で完璧に完了していたことであろう







こんな素人の私でも、もしも、いつの日か、隠岐民謡の役に少しでも立てたならば、それは第二のふるさとへの恩返しにも繋がる可能性があるのだと考えるのです。 この世の中の誰が、ゆうさんが尺八を吹けるようになると思った方がおりましょうか。 譜面も読めない私が、マネ事をして遊んでいるだけ。 そう、そうなのですが、私一人だけは、大真面目に毎日、練習を重ねているのですよ。 だって、いつの日か、夢のコンサートを行おうとした時に、万が一、じろうさんが欠席されたとしても、コンサートが出来るようにしようと考えた時に、私が、そのパートを埋めることが、出来たならば(技術は随分と落ちてしまいますけれども


隠岐も、そうですが、音戸だって同じです。 いつの日か、ゆうさんに尺八伴奏をお願いしたい







あの先生の2番の唄の高い部分や低く唄う部分の清らかな音を活かしつつ殺すことなく、尺八伴奏の音を仲間入りさせる技術をつけるってのは、本当に難しいのです







2つやれば、3つやれば、増やすと全てが
中途半端になってしまう。 だから一つが
良いのだと。
だけれども、それは世の中の一人の考え方
私は、こう考える。 一つの和楽器しかやら
なければ、一つを深く追求することは出来るが
他の和楽器の世界を見ることは出来ない。
和楽器には、それぞれらしい特徴と独特な
素晴らしい世界が、一つ一つあって・・
それらを一人の人間が学ぶことにより、深く
和楽器の世界感を学んでゆくことが可能となる
私のように、全ての楽器を学ぶ者は、一つの
深さが薄いかもしれない。 だが、オールラウンダー
である、全ての和楽器のバランスを誰よりも
理解できるということが、私にとって、とても
大切なのであります。
夏生さん、今日から、あなたも、鼓に挑戦して
みてください。 あなたの和楽器に対する世界
が、ガラット変わってゆきますよ
いつも コメントだんだん
とりあえず何でもやっちゃえ!