私は東北の地を未だ踏んだことがない 母も東北へ行った経験がない 東北といえば数えきれないほどの優れた民謡人の宝庫である なのに行った経験がないだなんて 宮城には和楽の会民謡の仲間もいる 私が心から尊敬している民謡人である それでも東北の大会で優勝されたという噂を耳にすることなどなかった 東北って、どれほどのレベルの高さがあるのだろうと私は考えた。 岡山県に秋田民謡の上手な仲間がいる 私にとって彼女の唄は大変素晴らしくて心に染みる素晴らしい唄い手である それにも関わらず、秋田県の民謡大会に出向いても入賞すら許されることもないほど、東北ってところはレベルが高いのである なんて凄いところだって私は思う。
私には技術のことは正直、よく分からない。 私は技術で人を判断なんかしたりしない。 例え技術が素晴らしくても人間に輝きがもしなかったならば意味がないと感じている。 もちろん、私は人間がよくはない だけれども聴く耳と目だけは持っていると感じている。 それは技術のことじゃなく、一つの音と次の音とを結ぶ間であったり、それが崩れる心構えであったり、音色を出す姿勢であったり、落ち着き、全てを観て感じ取れるのであります。 私が感動する民謡人っていいますのは、滅多に存在致しません。 だけども初級の中に感動させてもらえる人は、たくさん存在するのです。 逆に日本一に輝かれた方の方が、意外と心を引き付ける方は少ないように感じています。
ヘンな意見ですが、日本一に輝くと、素晴らしい心構えを維持してゆくのが本当に厳しくて、技術が良くても、その技術に心がついてゆけなくなるのではないだろうかと私は推測しております。 技術を上げれば上げるほど、心の持ち方、その維持が大変難しくなってくるように感じているのです。 技術と心の持ち方のバランスが最も難しいのだと考えています。 私には、まだ実力がありませんので、日本一にならずに済んでます。 おかしな話だと思われると思いますが、もし私が日本一になってしまったら・・ 春代さんのようにしっかりとした民謡人になることは出来ないことでしょう。 春代さんは本当に素晴らしかった。 何がって・・ 人間がすごいんです。 飾りがなく素直であります。 一番凄いのは、私に緊張感を持たさなかったことだと思いました。
普通、あれだけの栄誉に輝かれた方の伴奏を受け持つっていうのは、緊張して当たり前です。 私は舞台袖にて陶山さんからリハの時に「島本さん、緊張しませんか」って聞かれたんです。 私は「はい、まだリハだから緊張しておりませんよ」と答えたんです そしたら陶山さんは 「リハで緊張しないのなら、本番も大丈夫ですよ」と太鼓判を押してくださいました。 後になってわかったことなのですが、それもこれも、全て春代さんのお陰だったんですね 私はてっきり一人で、ちょっぴり怖そうな方では という勝手なイメージを持っていたのです。 だって春代さんって決勝の舞台裏では、黙って静かでね その回りに座って待機されている方々も静かにしてたから
私は春代さんとは離れておりましたので、隣の方とべらべらと喋っていたのでしたが・・ 春代さんのところだけ シーンんてなってたので そのような勝手なイメージを持っていたのでした。 それが、今年の音戸の舟唄全国大会時には、本当に素敵な笑顔にてご挨拶してくださりましてね いや、その方のこと、実際にお話もお付き合いもしておりませんのに、勝手なイメージを持つだなんて、自分は失格だと思いましたもの 春代さんは、私にとりまして誠に見事なお手本となる素敵な民謡人だったというわけだったんです。 日本民謡フェスティバルの時も、私にどうこう指図など全くありませんでね。 とにかくサンドイッチをご馳走してくださったり、おにぎりを分けてくださったりと 私は、まるで春代さんの息子状態だったんですよ
とにかく、この東京渋谷のNHKホールという見事な場所にて、日本を代表するレベルの春代さんに頼まれて、お手伝い出来たっていう事実は、これから先の私の民謡人生に於きましては、一生涯の宝物であり 未来に向けまして消え去ることなどございません 少しでも先の未来に残りますように、私は民謡書を残すつもりです 100年後の民謡ファンが、それを見つけて また100年先の民謡ファンに向けて保存してくださることを、心から望みます 私は、私のために動いてくださった民謡人、お一人、お一人のことを書にしたためて、歴史に残しておきたいのでございます 良い和紙を探さなくてはなりませんね
そして東北のことに戻ります。 東京で出会った素晴らしい東北民謡人さんの影響を強く受けました それはそれは素晴らしい音(心の音色)でした 私は、どうしても聴きたいので 東北に行こうと考えております もし東北にて、ゆうさんが駅まえで三味線弾き語りしておりましたら 是非、みなさま、お声をお掛けくださいませね もちろん、演奏を終えてからですよ あっ 秋の東北は、寒くて手がかじかんでしまって 三味線を持参したことを後悔しちゃうかもしれないですよね ということで、本日もご拝読、誠に有難うございました
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私には技術のことは正直、よく分からない。 私は技術で人を判断なんかしたりしない。 例え技術が素晴らしくても人間に輝きがもしなかったならば意味がないと感じている。 もちろん、私は人間がよくはない だけれども聴く耳と目だけは持っていると感じている。 それは技術のことじゃなく、一つの音と次の音とを結ぶ間であったり、それが崩れる心構えであったり、音色を出す姿勢であったり、落ち着き、全てを観て感じ取れるのであります。 私が感動する民謡人っていいますのは、滅多に存在致しません。 だけども初級の中に感動させてもらえる人は、たくさん存在するのです。 逆に日本一に輝かれた方の方が、意外と心を引き付ける方は少ないように感じています。
ヘンな意見ですが、日本一に輝くと、素晴らしい心構えを維持してゆくのが本当に厳しくて、技術が良くても、その技術に心がついてゆけなくなるのではないだろうかと私は推測しております。 技術を上げれば上げるほど、心の持ち方、その維持が大変難しくなってくるように感じているのです。 技術と心の持ち方のバランスが最も難しいのだと考えています。 私には、まだ実力がありませんので、日本一にならずに済んでます。 おかしな話だと思われると思いますが、もし私が日本一になってしまったら・・ 春代さんのようにしっかりとした民謡人になることは出来ないことでしょう。 春代さんは本当に素晴らしかった。 何がって・・ 人間がすごいんです。 飾りがなく素直であります。 一番凄いのは、私に緊張感を持たさなかったことだと思いました。
普通、あれだけの栄誉に輝かれた方の伴奏を受け持つっていうのは、緊張して当たり前です。 私は舞台袖にて陶山さんからリハの時に「島本さん、緊張しませんか」って聞かれたんです。 私は「はい、まだリハだから緊張しておりませんよ」と答えたんです そしたら陶山さんは 「リハで緊張しないのなら、本番も大丈夫ですよ」と太鼓判を押してくださいました。 後になってわかったことなのですが、それもこれも、全て春代さんのお陰だったんですね 私はてっきり一人で、ちょっぴり怖そうな方では という勝手なイメージを持っていたのです。 だって春代さんって決勝の舞台裏では、黙って静かでね その回りに座って待機されている方々も静かにしてたから
私は春代さんとは離れておりましたので、隣の方とべらべらと喋っていたのでしたが・・ 春代さんのところだけ シーンんてなってたので そのような勝手なイメージを持っていたのでした。 それが、今年の音戸の舟唄全国大会時には、本当に素敵な笑顔にてご挨拶してくださりましてね いや、その方のこと、実際にお話もお付き合いもしておりませんのに、勝手なイメージを持つだなんて、自分は失格だと思いましたもの 春代さんは、私にとりまして誠に見事なお手本となる素敵な民謡人だったというわけだったんです。 日本民謡フェスティバルの時も、私にどうこう指図など全くありませんでね。 とにかくサンドイッチをご馳走してくださったり、おにぎりを分けてくださったりと 私は、まるで春代さんの息子状態だったんですよ
とにかく、この東京渋谷のNHKホールという見事な場所にて、日本を代表するレベルの春代さんに頼まれて、お手伝い出来たっていう事実は、これから先の私の民謡人生に於きましては、一生涯の宝物であり 未来に向けまして消え去ることなどございません 少しでも先の未来に残りますように、私は民謡書を残すつもりです 100年後の民謡ファンが、それを見つけて また100年先の民謡ファンに向けて保存してくださることを、心から望みます 私は、私のために動いてくださった民謡人、お一人、お一人のことを書にしたためて、歴史に残しておきたいのでございます 良い和紙を探さなくてはなりませんね
そして東北のことに戻ります。 東京で出会った素晴らしい東北民謡人さんの影響を強く受けました それはそれは素晴らしい音(心の音色)でした 私は、どうしても聴きたいので 東北に行こうと考えております もし東北にて、ゆうさんが駅まえで三味線弾き語りしておりましたら 是非、みなさま、お声をお掛けくださいませね もちろん、演奏を終えてからですよ あっ 秋の東北は、寒くて手がかじかんでしまって 三味線を持参したことを後悔しちゃうかもしれないですよね ということで、本日もご拝読、誠に有難うございました
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