

帰ってみると、おばあさんがお茶をもんでいた。
昔は、我が家では番茶を作っていました。畑のあぜ道のそばに植えていたお茶を刈り取ってきて、さっと湯通しして小さく切ります。それをムシロに干して、3回くらいもみます。
こうやって作ったお茶を自家用にしたり、売ったりしていました。
もう何年もお茶を作っていないので、「どしたん? お茶を作りょうるんな。」と言うと、
「荒れた畑の隅に、新緑のお茶があったんで、ちょっと、作って飲んでみようと思ようるんじゃ。」
「まー、八十八夜は、過ぎてしもうたけど、うまいお茶ができるぞ~!」とか言いながら作っていました。
まー、できたら一杯ご馳走してもらいましょうかね。
今年の八十八夜は5月1日だったと思う。かなり遅れての茶摘です。
八十八夜に摘み取られるお茶は、古来より不老長寿の縁起物の新茶として珍重されていますからね。
昔、我が家では、苗代の籾巻きが終わってからお茶をしていたと思う。
天然であり自然の暦に則って季節を迎えることが無病息災の祈りだった古人の知恵のように思える。
ともかく、茶摘み最盛期である八十八夜はすっかり過ぎてしまいましたが、縁起を担ぐという意味合いと今年の気候条件も含めて判断すれば、今日あたりが我が家のお茶は極上じゃないかといいように考える。
お茶の新芽には前年の秋からひと冬越えて蓄えられた成分があふれているんじゃないかと思う。新茶特有の若々しい香りが失われないうちに製茶された一番茶を、ゆったりと寛いで飲みたいものです。
(うまみのもとであるテアニンなどの成分を豊富に含まれているとか)

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