長期休暇になると両親の田舎に帰省していた幼少時代。
大阪駅から特急白鳥に乗り新潟まで約8時間。そこから村上まで約2時間。ごくまれにブルートレインなんて言葉はなかったころ寝台列車に乗せてもらったこともあった。寝台列車は3段ベッドで一番上は窓がない、1段目は3段なのに下かあってのが嫌でどうしても2段目が良かった。ベッドは切符購入時に決まっている。親には変わってもらえるから2段目は常にキープしてはいた。
列車の中でベッドに寝て外を見るという非日常の行為から、寝台なのに眠らず窓の外飛んでく街並みや真っ暗でその景色さえまばらなのにワクワクしながら眺めていた。「はよ寝や~」母親の声にカーテンを閉めた。
白鳥ならまだいい、切符が取れず急行北国になると停車駅は増え、大阪駅22時に乗って村上到着時間はほぼ12時頃、約14時間の苦痛。
直角に切り立った背もたれとクッションの悪いそれでいてやわらかい腰のないシート、対面シートの狭い間隔に足のやり場に難儀しながら、それでも迎えの人と協力して楽に乗れるように足を投げ出す。自由席だから当然乗車率は高いので通路にだって人は寝ている荷物を枕に人がゴロゴロ。トイレに行くのも一苦労。小4の夏休み一人で帰ったときには歩けないので窓から脱出したこともあるがそれはそれで楽しい記憶。いつも不思議感と人間味のある約14時間を過ごした。
そんなこともあってか鉄道に乗ることは嫌いではない。去年のGWに長良川鉄道に乗ってきた。この車内のイメージは幼少の急行北国の中なつかしさでワクワクする。
どこかに向かうのが目的ではなくこのSLに乗るのが目的だから幼少の頃見た人たちの顔とは違う。遊園地のアトラクションを体験してるような顔。
地方の鉄道事業の悪化の起爆材にSLを走らせている路線もいくつかある。
このバカあたりしているSL企画もあってか車窓に見える街は活気があるし地元の方の顔も明るい気がする。鉄道が元気だと街は生き返る。
学生になって旅の仕方が変わった。乗り物がまず変わったレールからロードに移った。まず自転車それがバイクになり、車になり、鉄道での旅はしなくなったけど鉄道についつい反応してしまう。
街中を走りまわってる便利機能満載の車両も踏み切りに立って見送るときには、なにやら忙しく仕事をしてた頃の自分を重ねてみたりして。
バイクや自転車での旅先でのどかな風景のところを走ってる列車に出会うと「お前は毎日いいとこで走れてるね~うらやまし~」と思ってしまう。廃線でさび付いたレール何の音もしなくなったレールはまた次の街へ行ってみないかと訴えかけてくる。
けど二度とここに列車は走ることはなくそのうちにレールは外される。錆付いたレールの上、今見ることのない軌跡が運んでいたいろんなもの、人の希望とか夢とか悲しみとか笑顔や泣き顔とかもあったろう、そんなことをぼんやり思う。ポツポツと顔になにやら冷たい感触・・・うわああヤバ~降ってきたよ~ボーとしてないでさっさと行けばよかったかあ~。
まだまだ残した道程をずぶ濡れで走ることも。
でもその軌跡に触れられたこと、その空気につれっててもらえたことに気持ちはポカポカしてる。
大阪駅から特急白鳥に乗り新潟まで約8時間。そこから村上まで約2時間。ごくまれにブルートレインなんて言葉はなかったころ寝台列車に乗せてもらったこともあった。寝台列車は3段ベッドで一番上は窓がない、1段目は3段なのに下かあってのが嫌でどうしても2段目が良かった。ベッドは切符購入時に決まっている。親には変わってもらえるから2段目は常にキープしてはいた。
列車の中でベッドに寝て外を見るという非日常の行為から、寝台なのに眠らず窓の外飛んでく街並みや真っ暗でその景色さえまばらなのにワクワクしながら眺めていた。「はよ寝や~」母親の声にカーテンを閉めた。
白鳥ならまだいい、切符が取れず急行北国になると停車駅は増え、大阪駅22時に乗って村上到着時間はほぼ12時頃、約14時間の苦痛。
直角に切り立った背もたれとクッションの悪いそれでいてやわらかい腰のないシート、対面シートの狭い間隔に足のやり場に難儀しながら、それでも迎えの人と協力して楽に乗れるように足を投げ出す。自由席だから当然乗車率は高いので通路にだって人は寝ている荷物を枕に人がゴロゴロ。トイレに行くのも一苦労。小4の夏休み一人で帰ったときには歩けないので窓から脱出したこともあるがそれはそれで楽しい記憶。いつも不思議感と人間味のある約14時間を過ごした。
そんなこともあってか鉄道に乗ることは嫌いではない。去年のGWに長良川鉄道に乗ってきた。この車内のイメージは幼少の急行北国の中なつかしさでワクワクする。
どこかに向かうのが目的ではなくこのSLに乗るのが目的だから幼少の頃見た人たちの顔とは違う。遊園地のアトラクションを体験してるような顔。
地方の鉄道事業の悪化の起爆材にSLを走らせている路線もいくつかある。
このバカあたりしているSL企画もあってか車窓に見える街は活気があるし地元の方の顔も明るい気がする。鉄道が元気だと街は生き返る。
学生になって旅の仕方が変わった。乗り物がまず変わったレールからロードに移った。まず自転車それがバイクになり、車になり、鉄道での旅はしなくなったけど鉄道についつい反応してしまう。
街中を走りまわってる便利機能満載の車両も踏み切りに立って見送るときには、なにやら忙しく仕事をしてた頃の自分を重ねてみたりして。
バイクや自転車での旅先でのどかな風景のところを走ってる列車に出会うと「お前は毎日いいとこで走れてるね~うらやまし~」と思ってしまう。廃線でさび付いたレール何の音もしなくなったレールはまた次の街へ行ってみないかと訴えかけてくる。
けど二度とここに列車は走ることはなくそのうちにレールは外される。錆付いたレールの上、今見ることのない軌跡が運んでいたいろんなもの、人の希望とか夢とか悲しみとか笑顔や泣き顔とかもあったろう、そんなことをぼんやり思う。ポツポツと顔になにやら冷たい感触・・・うわああヤバ~降ってきたよ~ボーとしてないでさっさと行けばよかったかあ~。
まだまだ残した道程をずぶ濡れで走ることも。
でもその軌跡に触れられたこと、その空気につれっててもらえたことに気持ちはポカポカしてる。