循環無端~cycle endless~

土を耕し野菜を栽培する。栽培した野菜を発酵作用等で加工し、食す生活を夢見ています。

冬の老い

2016年12月23日 12時27分37秒 | ETUDE

雪が舞っている朝
暖炉には
薪の火がちろちろと燃え
その暖炉のそばに
私は椅子に座って
彫り物をしている              

見送った人の
遺影がまた一つ増え
尋ねてくる人とて
ほとんどない
ラジオだけが
私の聞く音か

時々だが
ザーッという屋根雪の
滑落の音とか
郵便配達夫の
ポストに入れる音が
するくらいのものだ

あーつ!
あいつに聞いておけばよかったと
そう思うことがいくつかはあるので
つい声を上げている自分がいる
つまらないことだが
家の処分のことだったりする

娘たちに少しでも遺産を
残せるものならと
そういう思いが
ふと浮かんでは消える
俺はさしずめ大学の医学部にでも
献体する旨の申請はしておこう

庭の紅葉の木に
一羽の鳩が留って
デデッポーと鳴き始めたので
ここまでの考えを止めた
いいなあお前は飛んでいけば
いつでもどこでも死ねる



短歌/師走二十三日

2016年12月23日 10時52分52秒 | 徒然なるままに(日記)

・どういう訳かアールグレイ気に入ってます天皇誕生日の朝

・え?退職願をいきなり出すなよな紅茶が冷める朝

・年の瀬なのに別人格が独り歩きする明日の俺どうなるのか

・ダスニフとクロエいつか聞いてたレコード血が騒ぐ年の瀬に

・毎月一回は喧嘩でもしようよ寂しい冬年取りたくない

・二日酔いだよ今朝も禁酒宣言も夕暮れには忘却の日々



・田中小実昌の気持ちが今になって分かった年寄りにはカツラよりも毛糸の帽子


ハンサムウーマン例会

2016年12月22日 07時29分09秒 | 徒然なるままに(日記)
12月22日(木)曇り

 昨夜は「ハンサムウーマン」の今年最後の例会でした。
弘前市内の「どて箱」という集会所で開催されました。参加者は14名。初めての方が多かったようです。
この会は設立後22年間継続されています。
男女共同参画社会と女性の自立を目指して、偶数月に社会で
活躍している女性たちとその趣旨を理解する男性も参加することができます。

 昨日のゲストスピーチは私の「韓国駆け足旅」でした。

 ゲストスピーチのお話が終われば参加者が紹介され、それぞれの現在関わっている活動について
紹介がなされます。

 食事と飲み物付きで、ゲストがお話している間自由に食事をとることができます。
PM6:30~PM9:00までで終了。

 初めての出会いの方も、その後ネットワークになり、いろんな交流が広がるのもこの会の良さかもしれません。
16年前にはこのグループメンバーでドイツの環境首都にも出かけてきました。
そしてその参加者の中で法人の役員をしてくださっている方もおります。

 法人初代女性理事長の提唱で結成さたこの会はれ、3代目の女性理事長が現在のリーダーです。
そして残念ながら来年は、年3回に開催日が縮小されるようです。後継のリーダーが育たないと、
なかなか難しいようですね。

 どんな組織も後継リーダーを育てないと、いつかは活動の終了に向かうことになるのではないかと思います。

 さて、一つ約束を果たして、次はいよいよ冬の陣。「のれそれ雪とろけ隊」の屋根の雪下ろしボランティア活動シーズンの始まりです。
岩木山を抱える旧岩木町は、百沢弥生という中腹の村落が、屋根雪を下ろせない高齢一人暮らしの方々など
その活動を待っています。もうこの活動も20年近くになります。隊員たちの年齢も60代、なかなか口径の若者たちとリンクできずにおります。
それでもできる限りやるしかないのですが・・・。

「孤独は選べるが、孤立は選べない」

2016年12月20日 07時41分20秒 | 徒然なるままに(日記)
 
12月20日(火)


 
 雪は降ったが昨日今日と、好天に恵まれ気温も上昇。結果、雪もみるみる溶けていく。

 11月中旬の陽気だというから、またいったん季節が戻った感じです。

 さて、表題の「孤独は選べるが、孤立は選べない」ということについて。

 孤独は自分の都合、孤立は他人の都合、簡単に言えばそういうことになる。
自分の存在感が人間関係の中にないという、一種の差別である。話しかけても答えてくれないとか、
白い目で見られる、陰口を言われる、心の距離がある、無視される。そういうことが日常生活に継続すると、人間はどうなるのだろうか。
 福島県の原発事故の影響で疎開している方々の苦労の中に、先日も「病原菌」に見立てて「菌」という蔑称をもって、差別意識を醸成している学校もあるというから心が痛い。

 最近では身近な例で青森県でも、いじめによる自殺が2件もあった。最近は携帯電話もあるから、いじめの範囲がさらに拡散してしまう。
 あんなに明るそうな笑顔で、手踊りの実績もあって心の中はいかようだったのか...計り知れない悲しみである。

 自分も初めて青森に来た時、新しい職場で言葉の違いなどで、そういう体験はしている。
すべての人がそうではなかったということが、唯一救いではあったが、青森に来たのは間違いだったか・・・と思ったことが何度かある。

 40年間も暮らすと、それは雲散霧消で遠い記憶となってはいる。