ブログで私の祖父の内弟子の話を書きました。
その続き、
内弟子に師匠が言葉で仕事(技の伝達)を説明しないのは
幾つかの理由があります。
一つに
肝心なことは(合気道であれば合気)、言葉
だけでは説明しきれない。ということがあります。
鍛冶の仕事を覚えさせるとき
昔の親方は、身体で考えるように教え込みました。
祖父も、弟子に注意する時や活を入れる際、
言葉でいいません
口より先に手や槌(つち)やその他のモノが
弟子の額に飛んできました。
つまり相手にむけて投げるのです。
「バカもん」の世界です。
言葉で教えるその欠点は、
その弟子なりの力量で(師の言葉が)
理解されてしまうことです。
合気道の接触技法なんかは、
言葉で伝えられないです。
その「感じ」フィーリングをモノにしないと
だめです。
見ている間にくみ取れっていうのは不可能です。
「百聞は一見に如かず」見て覚えるのは、形、型だけ、
触った感じ、つまり皮膚接触は別です。
「百見は一触に如かず」です。
触って、感じて覚えていきます。
合気道での片手取りなどの接触技法では、
ココの感じをつかんでいるか
どうかで全く違ってきます。
下のYouTube動画は、皮膚接触ですが
動画を見てもらっても、形は真似できますが
同じような接触技法は絶対に真似できません。
鍛冶の話に戻りますが
鍛冶の仕事に
「向う鎚」という作業があります。
今は電気ハンマーなんかでやるんでしょうが
私が高校生のころは、祖父の手伝いでよくやらされました。
私の中学、高校生の頃にはもう内弟子さんたちは独立していないため、
祖母がやっていたのですが、年齢的に無理になってきて
それで
わたしにやってほしいとある時期から頼まれて
やりましたが
これが見ているようにいかずとても難しいものでした。
おばあちゃんはいとも簡単にスイスイできるのに
どうしてできないんだろう・・と、
始めのころは非常に不思議でした。
普通にできる(簡単そうに見える)ということは「技」になっているということで
実際はとてもとても上手くできるものではありません。
やはりコツがあるものです。
呼吸投げ(片手取り)皮膚接触《鴻心館合気道》
その続き、
内弟子に師匠が言葉で仕事(技の伝達)を説明しないのは
幾つかの理由があります。
一つに
肝心なことは(合気道であれば合気)、言葉
だけでは説明しきれない。ということがあります。
鍛冶の仕事を覚えさせるとき
昔の親方は、身体で考えるように教え込みました。
祖父も、弟子に注意する時や活を入れる際、
言葉でいいません
口より先に手や槌(つち)やその他のモノが
弟子の額に飛んできました。
つまり相手にむけて投げるのです。
「バカもん」の世界です。
言葉で教えるその欠点は、
その弟子なりの力量で(師の言葉が)
理解されてしまうことです。
合気道の接触技法なんかは、
言葉で伝えられないです。
その「感じ」フィーリングをモノにしないと
だめです。
見ている間にくみ取れっていうのは不可能です。
「百聞は一見に如かず」見て覚えるのは、形、型だけ、
触った感じ、つまり皮膚接触は別です。
「百見は一触に如かず」です。
触って、感じて覚えていきます。
合気道での片手取りなどの接触技法では、
ココの感じをつかんでいるか
どうかで全く違ってきます。
下のYouTube動画は、皮膚接触ですが
動画を見てもらっても、形は真似できますが
同じような接触技法は絶対に真似できません。
鍛冶の話に戻りますが
鍛冶の仕事に
「向う鎚」という作業があります。
今は電気ハンマーなんかでやるんでしょうが
私が高校生のころは、祖父の手伝いでよくやらされました。
私の中学、高校生の頃にはもう内弟子さんたちは独立していないため、
祖母がやっていたのですが、年齢的に無理になってきて
それで
わたしにやってほしいとある時期から頼まれて
やりましたが
これが見ているようにいかずとても難しいものでした。
おばあちゃんはいとも簡単にスイスイできるのに
どうしてできないんだろう・・と、
始めのころは非常に不思議でした。
普通にできる(簡単そうに見える)ということは「技」になっているということで
実際はとてもとても上手くできるものではありません。
やはりコツがあるものです。
呼吸投げ(片手取り)皮膚接触《鴻心館合気道》