合気道鴻心館《明月会》Meigetsukai

美しい武道それが合気道《明月会ブログです》

Aikido 【日本合気道鴻心館 2/6】

2014年02月06日 | 鴻心館
☆平成26年2月6日(木)
【HP更新しましたーギャラリー】
昨年末実施の合気道・杖道演武大会の写真
(写真担当練習生2名が毎回大会には合計500枚ほど撮影してくれています)

2013年日本合気道鴻心館第九回演武大会の写真をHPギャラリーにUP
行事が今月も続きますが、大会以外は私か総務担当練習生が撮ります。


【達人‐植芝盛平‐その14】
ー呼吸投げ竜巻ー
 藤平光一先生の教えられた技のなかで「横面打ち呼吸投げ(竜巻)」を好んで
練習をしています。
 この技は、藤平先生が植芝先生から直接教えられたものかどうか分かりません。
植芝大先生もこの竜巻のような技をきっとされていたんだろうと思っています。
呼吸投げ竜巻は、入り身投げと同じ合気技を使って投げる技です。
投げ(取り)は受けの首部分を片手でもち、もう一方の手で受けの手首あたりを
もって螺旋状に下降して投げる呼吸投げです。
植芝大先生は、晩年呼吸投げ入り身、一教をよくされていたみたいですが、入り身
投げのような呼吸投げは体力の衰えに関係なく相手を投げてしまえるところがあり
ます。

―植芝盛平翁の涙―

 ある書より引用
「(植芝盛平翁)大正4年㋁に吉田幸太郎が遠軽の久田旅館に植芝盛平を連れてきたとき
、丁度、父親が教授代理として教えていた。既に柔術をやっていて自信を持っていた
植芝は「何、この田舎武芸者が」という感じで偉そうにやって来たので、武田惣角に
さんざん技をかけられたうえに極められ、隅で涙を流していたとのことである。武田
惣角も「植芝は雁の涙を流した」とよく言っていたそうだ。しかしこれにより武田
惣角の実力を知った植芝はこの武術の修行に夢中になっていった。」

以上、引用した内容は真実だろうと思います。
こういった事実がない限り、植芝盛平翁のその後の合気的実力が激変した理由が説明
つかないためです。
この引用した書はここではあきらかにしていませんが知りたい方がいればお教えします。

 植芝盛平翁は、この後合気技習得に全精力を傾けていったわけです。
それが大本教時代まで続いたことは明らかだと考えます。それからは技に磨きを
かけていきました。さらに盛平翁が飛躍した、ご自身の修行となったのが塩田剛
三氏の弟子入りだったと思います。塩田氏は植芝先生に張り付いていたと表現し
てよいくらい盛平翁の練習相手を相当されていた時期がありました。その間盛平
翁は塩田氏を受けに使って合気技に磨きをかけるべく(結果的に)実験できたのだ
と考えています。それらしきことが塩田剛三氏の著書からみられます。
いずれにせよ
武田氏に出会わなければ、武道家植芝盛平翁は存在しなかったといわざるをえません。

【3.11を考える―その4】

これは平成23年3月18日 産経新聞朝刊社会面にのった記事です。

この記事を読んだときは目を疑いました。
入院患者をほったらかしにして職員が先に避難する。
そんなことが日本の病院であるのかと・・・
信じられなかったので、インターネットですぐ調べたところ
やはり誤報の類でした。

しかしこんな記事がのせられたら病院の医師や職員はたまったものでは
ありません。

詳しく知りたい方は、 
「双葉病院患者置き去り」で検索をかけてください。




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