合気道鴻心館《明月会》Meigetsukai

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Aikido 【8月4日(月)】堺市の合気道場鴻心館

2014年08月04日 | 鴻心館
≪試合のない≫

 ☆陸上部に6年間所属していた息子は、陸上競技と縁が切れた瞬間、卒業から
その専門的なトレーニングをしなくなった。筋トレはしているみたいで部屋
にその器具があり、私も懸垂をたまにしている。
陸上競技は試合があり、やり投げやハンマーなどの投てき競技にでるために
練習があり、試合に出るための目的が9割、100%をしめているのがその練習で
あります。だから試合に出ないとなると練習する意味も無くなるものです。

 ☆ところで合気道には試合がありません。競技ではないのでそのための練習
も当然ないということになります。
 合気道を武道(武術)のなかから選択して入門してきた瞬間から試合目的でない
練習が始まるわけです。
何のための練習であるのか。
それは生涯やめない限り(何らかの練習が)続くわけです。
 元来試合のない合気道を選んだということはそういうことです。
試合のない武道に身を置いたことの意義を合気道をする人には自分のアタマで
考え、それはどういうことか? どういう意義があるのか?
を問いかけて自分で答えを見つけてほしいとおもいます。
(時間はかかるかもしれません、早く答えが見つかるかもしれませんし、見つけられないかもしれません。)

 昔、合気道に入門して何年か練習しただけで「こんなん使い物になれへん」
と言った人がひとり居ました。(身内の恥をさらすようですが)

合気道はたしかに試合はありませんが、試合がないという(表の事実)ことを
表層的に捉えるのは、少し軽い考えの人だと思ったりもします。
武道は、武の術として戦国以前から綱吉の時代を境に、武術⇒武道へと昇華
した歴史があります。ですから合気道は娯楽やちょっとかじる趣味モノでは
ありません。

 合気道=武道は、それ自体が人生そのものになり得ることもありますが、
それは、合気道(武道)から逃げずに正面から向き合った人だけです。
 

≪夏期講習≫



今朝も午前中は、学習塾SOLAの夏期講習です。
学生、生徒は勉強だけが仕事です。
子どもにとって勉強だけが全てじゃないという事も
ある面、真実(狭義の)ですが
私のいう勉強は、とにかく勉強です。

・教科(算数、理科・・など)の勉強
・友達と遊ぶという勉強
・ちょっと嫌なことも我慢してやらないかんということも勉強
・家(家業)のお手伝いも勉強 、、等

そのなかでも将来を左右する勉強が学校の勉強です。
どんな学校にせきを置いているにせよ、努力はしないとダメです。
はなしは長くなりますので割愛しますが、以上のようなことで
昨日も道場に来た男子高校生の成績を聞いて説教をしてしまいました。
私はわたしの好きな(ヒイキをしている)人にしか関わりませんし説教もしません。
これは私のスタイルです。
きちんと真面目に向き合ってくれているなぁと思う、感じる人以外には関心がゼロ、

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