☆平成26年1月29日(水)
【合気道の夏合宿】
日本合気道鴻心館では、毎年夏休みに合宿をしてまいりました。
今年も恒例の夏合宿を実施します。
今年は、和歌山県龍神村(現田辺市)に決定しました。
体育館の予約も取れました。体育館は木造体育館を使用します。
大きな立派な体育館です。以前、丁度4年前に夏の日帰り合宿で使用し
たことがありました。
合宿日は、7月26日(土)~27日(日)の予定となります。
【大阪YMCAインターナショナルスクール合気道部】
昨日は合気道部、部活動の指導で大阪市中津6丁目にあるインターナショナル
スクールに行きました。
部員は現在8名ですが、全員出席で基本練習から、受け身、一教、二教
小手返し(定位置)・四方投げ(定位置)の練習を中心に行いました。
一名は二月の進級審査会に参加します。将来的には学校で出張審査を行えれば
、それも一つのやり方かもしれないと・・・部員が増えてくればまた考える時
期がやってくると思います。しかしながら当面は堺まで審査を受けにきてもら
うという事でやってまいりたいと思います。
【達人‐植芝盛平‐その12】
―極意について―
「武道家のこたえ―武道家33人、幻のインタビュー」柳川昌弘編・著
この書のなかで、植芝吉祥丸氏がインタビューに答える形で、盛平翁
の語った極意について述べています。以下引用
―p71より
「昭和の始めの頃、ある人が父に、
『先生、極意は何ですか? 極意を見せてください』
と言ったところ、父は
『極意は皆やっているじゃないか、わしは最初から極意を出している』と。
『何も極意だ極意だと奇想天外なものはありゃせん』
『だから巻物を見たって何もわからんじゃないか』
といっていました。」
-引用終わり
この短い中に非常に重要な合気上のヒントがみうけられます。
まず第一に
・極意とは何か?
つまり、植芝盛平先生がさしている極意とは何かということです。
これが一点。
次に、
・「最初から極意を出している」とは具体的には何事をさしてそう仰ったのか
・巻物を見ても意味がないと盛平翁が考えていた点
以上の3点です。
まず初めの極意とは何か?
盛平翁がここでいう極意とは、武道一般をさしていう、命のやり取り上の
極意ではないという事です。
それは合気道の極意を指し、もっと言えば全ての合気道の動きの中で
使う技術の総称を極意と言っているものだと私は理解しています。
『使う技術の総称』を私は、何度も書いているように合気技と表現しています。
なるべく分かりやすく言葉をそろえて言えば、合気技(≒使う技術の総称)とは
○崩す技術
○相手の力を無効にする技術
○相手の力を受けない技術
○相手の力を受けずに自分は相手に力を及ぼす技術
こういったことになろうかと思います。
この盛平翁のいわれる合気的な極意、つまり合気技は形ではありません。形はなんでも
いいのです。極端にいえばですが。形に表れないモノなので盛平翁も何と言い表してよ
いものか???と思われたはずです。
そこで
「極意は皆やっているじゃないか、わしは最初から極意を出している」
というお言葉になったものだと考えます。
皆やっとる―というのは詳しくは分かりませんが、おそらく、練習でやっている形の中に
ある(投げ―受けの)、練習ですでに形はできているではないか、その形の内に極意がある
のか無いのか、その違いだけですよ。と、仰りたかったのだと私は思っています。
「わしは最初から極意を出している」というのですが、
具体的に言えば、極意(=合気技)をだしていないと真の合気道が成り立たない
つまり、正面打ち一教を例にとれば、一教という形にもっていけない、持っていく
ためには合気技をつかわないと抵抗する(力を入れている)相手を動かせないと
いう事です。
藤平光一先生は、ここのところを「導く」と表現されています。
極意をだしているとは、つまりは合気技(ある技術)をつかっていつもやっていますよ。
ということです。
これは、合気技が全く出来ない人にいくら言葉を重ねて説明しても理解は100%できません。
出来ない人が読んでくれていても、何を言っているのかさっぱり分からないと思います。
しかしながら、
私の今述べたことが理解できて納得していただける方は必ずいるはずです。
その方は失礼ながら実力はかなり上の方だと言えます。
私が植芝盛平翁と全く同じ事ができているとは断じて思いません。が、しかし
ある程度の事合気技が出来るから、いまこうして書いているわけです。
(どの程度か具体的に盛平翁と比較する事ができない以上は自分でも実感をもってわかりませんが)
なんにも出来ないのにこんなことを書いていれば、ただのペテン師まがいです。
まぁ
真に合気道がわかりだして来れば、ここでいま私が書いたことも理解していただ
ける事ではあります。
盛平翁が言われています。
『だから巻物を見たって何もわからんじゃないか』
これは書き物は意味がないと・・・巻物をいただいて有難がっているようでは
それは違う。ということを言われたいのだと解釈しています。
合気技は出来る先生(師)よりとるもので、
決してもらう、頂くものではないと・・
最後に言っておきます。
【合気道の夏合宿】
日本合気道鴻心館では、毎年夏休みに合宿をしてまいりました。
今年も恒例の夏合宿を実施します。
今年は、和歌山県龍神村(現田辺市)に決定しました。
体育館の予約も取れました。体育館は木造体育館を使用します。
大きな立派な体育館です。以前、丁度4年前に夏の日帰り合宿で使用し
たことがありました。
合宿日は、7月26日(土)~27日(日)の予定となります。
【大阪YMCAインターナショナルスクール合気道部】
昨日は合気道部、部活動の指導で大阪市中津6丁目にあるインターナショナル
スクールに行きました。
部員は現在8名ですが、全員出席で基本練習から、受け身、一教、二教
小手返し(定位置)・四方投げ(定位置)の練習を中心に行いました。
一名は二月の進級審査会に参加します。将来的には学校で出張審査を行えれば
、それも一つのやり方かもしれないと・・・部員が増えてくればまた考える時
期がやってくると思います。しかしながら当面は堺まで審査を受けにきてもら
うという事でやってまいりたいと思います。
【達人‐植芝盛平‐その12】
―極意について―
「武道家のこたえ―武道家33人、幻のインタビュー」柳川昌弘編・著
この書のなかで、植芝吉祥丸氏がインタビューに答える形で、盛平翁
の語った極意について述べています。以下引用
―p71より
「昭和の始めの頃、ある人が父に、
『先生、極意は何ですか? 極意を見せてください』
と言ったところ、父は
『極意は皆やっているじゃないか、わしは最初から極意を出している』と。
『何も極意だ極意だと奇想天外なものはありゃせん』
『だから巻物を見たって何もわからんじゃないか』
といっていました。」
-引用終わり
この短い中に非常に重要な合気上のヒントがみうけられます。
まず第一に
・極意とは何か?
つまり、植芝盛平先生がさしている極意とは何かということです。
これが一点。
次に、
・「最初から極意を出している」とは具体的には何事をさしてそう仰ったのか
・巻物を見ても意味がないと盛平翁が考えていた点
以上の3点です。
まず初めの極意とは何か?
盛平翁がここでいう極意とは、武道一般をさしていう、命のやり取り上の
極意ではないという事です。
それは合気道の極意を指し、もっと言えば全ての合気道の動きの中で
使う技術の総称を極意と言っているものだと私は理解しています。
『使う技術の総称』を私は、何度も書いているように合気技と表現しています。
なるべく分かりやすく言葉をそろえて言えば、合気技(≒使う技術の総称)とは
○崩す技術
○相手の力を無効にする技術
○相手の力を受けない技術
○相手の力を受けずに自分は相手に力を及ぼす技術
こういったことになろうかと思います。
この盛平翁のいわれる合気的な極意、つまり合気技は形ではありません。形はなんでも
いいのです。極端にいえばですが。形に表れないモノなので盛平翁も何と言い表してよ
いものか???と思われたはずです。
そこで
「極意は皆やっているじゃないか、わしは最初から極意を出している」
というお言葉になったものだと考えます。
皆やっとる―というのは詳しくは分かりませんが、おそらく、練習でやっている形の中に
ある(投げ―受けの)、練習ですでに形はできているではないか、その形の内に極意がある
のか無いのか、その違いだけですよ。と、仰りたかったのだと私は思っています。
「わしは最初から極意を出している」というのですが、
具体的に言えば、極意(=合気技)をだしていないと真の合気道が成り立たない
つまり、正面打ち一教を例にとれば、一教という形にもっていけない、持っていく
ためには合気技をつかわないと抵抗する(力を入れている)相手を動かせないと
いう事です。
藤平光一先生は、ここのところを「導く」と表現されています。
極意をだしているとは、つまりは合気技(ある技術)をつかっていつもやっていますよ。
ということです。
これは、合気技が全く出来ない人にいくら言葉を重ねて説明しても理解は100%できません。
出来ない人が読んでくれていても、何を言っているのかさっぱり分からないと思います。
しかしながら、
私の今述べたことが理解できて納得していただける方は必ずいるはずです。
その方は失礼ながら実力はかなり上の方だと言えます。
私が植芝盛平翁と全く同じ事ができているとは断じて思いません。が、しかし
ある程度の事合気技が出来るから、いまこうして書いているわけです。
(どの程度か具体的に盛平翁と比較する事ができない以上は自分でも実感をもってわかりませんが)
なんにも出来ないのにこんなことを書いていれば、ただのペテン師まがいです。
まぁ
真に合気道がわかりだして来れば、ここでいま私が書いたことも理解していただ
ける事ではあります。
盛平翁が言われています。
『だから巻物を見たって何もわからんじゃないか』
これは書き物は意味がないと・・・巻物をいただいて有難がっているようでは
それは違う。ということを言われたいのだと解釈しています。
合気技は出来る先生(師)よりとるもので、
決してもらう、頂くものではないと・・
最後に言っておきます。