・断片的な練習、習得でなく、構造を理解し体得する
序
・最近の出来事から
思いついたまま書いています。
物事を身につけるまでの過程で
自己主張をする人は自分の魂(柱)をもっている人です。
しかし、これは学ぶということについてはマイナスになっても
決して利益、プラスに働くことは絶対にありません。
「先生の教え方が悪い」とか、
「頑張っているのに成果がでない」や
そういう仲間の人は、自分の魂の上に合気道を足し算して習っている人たちです。
言い換えると
自分を捨てられずに、
人(先生)の指示に100%その人の精神が従えない場合です。
そういう人たちは案外多いものです。
人間が、あなたがいま存在しているのは
おぎゃ-。と
生まれた瞬間は、真っ白な「こころ」=認識だったからです。
つまり動物のように脳が完成された状態で産み落とされていません。
だから、人はそれぞれ母語を話すことができ、
社会生活のできる人間になれるわけです。
合気道を学ぶ姿勢もこれと同じで
自分に足りないものをここで求めようとしたり
今の自分の役に立つことに合気道を利用しよう。
としたりと、
こういうスタンスの人は残念ながら大N.Gです。
こういう方に教える技術は私には持ち合わせていません。
教えること、伝えること全て100%
なんの準備も下地、知識なく受け入れる事
これが「学ぶ」という姿勢です。
「私は・・」
「ぼくは・・」
「自分は・・・」
と言っている限り、合気の習得はおろか、身体操作技術の習得も無理。
合気道の学び(なんでもそうですが)は、
足し算の世界ではなく
ゼロの世界です。
ゼロに戻って新たに足してゆくのが「学び」の本質だと思います。
「次元を飛び越えたい」
と言ってみても、自我が前面にあらわれると妄想となり
「新たな世界に一歩ふみだす」と言ってみたところで
新たな自分に「スタンスに」立てていないと夢に終わり
人は、
今の自分(客観的自分=事実)を崩したくない動物です。
積み重ねてきたこれまでの自分を破壊することを非常に恐れる生き物です。
だから人の言うことを真に素直に聞ける人はごくわずかにしかいません。
自分が真っ白になって、何かへむけて再出発するということは非常に難しいものです。
難病になった人間や本当に崖っぷちに立っている人にしか
もっと言えば
渇望以上の魂からの欲求(武道に縋るわけありの人)がある人にしか
自分を棄ててまで学びの姿勢をとることはまずありません。
学問でも、受験勉強でも、武術やスポーツ、宗教でもなんでもかんでも
真に学ぶ行為とは
正面から受け入れることだと思います。
以上は、
私の取りとめのない意見・考えですから解釈は自由にしていただきたいと思います。