合気の技(力抜き)は、相手を無力化させる
または、弱くなってもらう
あるいは、バランスをちょっと崩してもらう
または、一瞬相手の脳に混乱を起こして待って貰う
・・・・
合気の技(力抜き)は秘伝だとも思います。
不思議な事は受けがいいし、誰しも興味があると思います。
でも、そこじゃないんです。
合気という技術は、武道から広い視点にたてばただの点。
当然ですが
武術の歴史を考えてみれば
"力抜き"それだけでは武術として成り立ちません。
武術としての合気道なり柔術なり剣の世界は
「生きること」についてむきあってきた血の歴史があり
その"生きる"という術をひっくるめて
全てが武術です。
古の戦場には、卑怯とか、正々堂々とか
それらはあっては生きて帰ることができず生と死とに向き合うなら
どんな手段もいとわないものであったはずです。
その過程で生まれてきた"ムスビ"
"先"や"合気(意識を極めるわざ)"というのは
点(合気)だけでは線とならず
線となるためには武術全体を見ないといけないと思います。
最近テレビでもありましたが、
るろうに剣心の最期の映画で、比古役福山雅治さん(剣心の師匠-比古清十郎)の言葉が
武術の全てを語っています。
"今、おまえが死への恐怖の合間に見出した、 生きようとする意志が必要だ。"
このセリフは、武術の全体を見渡せないとなかなか出ない言葉です。
部分部分にこだわっている(技のみとか)
そこじゃないんです。
・・・・・
合気の技は、
武田氏が明治時代になってから世に出るきっかけをつくりましたが
おそらくは、室町時代の後半には発見されていたと思われます。
室町という時代は、日本の文化史の中では核となる種となっている時代。
そこから江戸時代を通って、明治に入り
剣から柔を経て"合気"という特殊技術が少数派として現代まで続いているのが
現状です。
それが部分として興味本位で広まることは違うと思います。
武術を理解してこその"合気"テクニック。
間合や先、
武道としての産霊(むすび)の力
技(一教、四方投げ・小手返し等)
ひとつひとつの点としての学び、理解をとおして
それを組み立てて線としてつなげようとする意識が大切です。
武術は線なんです。
現在では、武道という
人格をもそこ、武術を通じて作るということもあります。
健康体操や礼儀作法は目的としてはプライオリティの低いものです。
または、弱くなってもらう
あるいは、バランスをちょっと崩してもらう
または、一瞬相手の脳に混乱を起こして待って貰う
・・・・
合気の技(力抜き)は秘伝だとも思います。
不思議な事は受けがいいし、誰しも興味があると思います。
でも、そこじゃないんです。
合気という技術は、武道から広い視点にたてばただの点。
当然ですが
武術の歴史を考えてみれば
"力抜き"それだけでは武術として成り立ちません。
武術としての合気道なり柔術なり剣の世界は
「生きること」についてむきあってきた血の歴史があり
その"生きる"という術をひっくるめて
全てが武術です。
古の戦場には、卑怯とか、正々堂々とか
それらはあっては生きて帰ることができず生と死とに向き合うなら
どんな手段もいとわないものであったはずです。
その過程で生まれてきた"ムスビ"
"先"や"合気(意識を極めるわざ)"というのは
点(合気)だけでは線とならず
線となるためには武術全体を見ないといけないと思います。
最近テレビでもありましたが、
るろうに剣心の最期の映画で、比古役福山雅治さん(剣心の師匠-比古清十郎)の言葉が
武術の全てを語っています。
"今、おまえが死への恐怖の合間に見出した、 生きようとする意志が必要だ。"
このセリフは、武術の全体を見渡せないとなかなか出ない言葉です。
部分部分にこだわっている(技のみとか)
そこじゃないんです。
・・・・・
合気の技は、
武田氏が明治時代になってから世に出るきっかけをつくりましたが
おそらくは、室町時代の後半には発見されていたと思われます。
室町という時代は、日本の文化史の中では核となる種となっている時代。
そこから江戸時代を通って、明治に入り
剣から柔を経て"合気"という特殊技術が少数派として現代まで続いているのが
現状です。
それが部分として興味本位で広まることは違うと思います。
武術を理解してこその"合気"テクニック。
間合や先、
武道としての産霊(むすび)の力
技(一教、四方投げ・小手返し等)
ひとつひとつの点としての学び、理解をとおして
それを組み立てて線としてつなげようとする意識が大切です。
武術は線なんです。
現在では、武道という
人格をもそこ、武術を通じて作るということもあります。
健康体操や礼儀作法は目的としてはプライオリティの低いものです。