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読書の森

山本周五郎『その木戸を通って』

山本周五郎の作品は、古き良き(?)日本の女性を観る視線がとても優しいです。


古き良き女性と言っても、貞操堅固で従順で淑やかな女性と言うのではないです。咲いても、咲かなくても、どのような場所であっても、一途で純な面を失わぬ女性を描いていると感じます。

沢木耕太郎編『おたふく』は山本周五郎の作品の中でも私の好きなものばかりです。
その中の一つ、以前挙げた『その木戸を通って』は原因不明の記憶喪失になる女性を描いてます。


名家の武家の門前、若き主に「会いたい」とだけ繰り返す嫋やかな娘がいる。
見れば髪も服装も乱れ汚れて胡乱な感じがする。追い返そうとするが、娘の言葉つきのおっとりと上品な事や弱っている様子が可哀想で、屋敷に置く事にした。
娘は主の名前を知っていて過去の記憶が全く無いようである。
「何か裏があるのか」と疑っていた一家もいかにも無邪気で頼りなげな娘を見放す事が出来なくなった。
実直な若い主人は次第に娘に愛着を覚えるようになる、、、。経緯はユーモアを交えて描かれ、主人は娘を娶り子も生まれ、穏やかで幸せな日々が続く。
ところがある夕、妻は愛しい子を残したまま、どことも無く姿を消してしまう。
何かを思い出して、誰かを探して、謎を秘めたまま、二度と戻ってこなかったのである。

ネタバレになりますが、これが物語の粗筋です。
主人公は謎の女と呼ぶにはあまりにも善意で一途な女性であります。

この本の中で私は『菊千代抄』『おさん』が大好きです。以前にも書きましたが、この二作について「好き」というのを憚る思いがあります。

作中の女性はいかにも昔の(?)男性の心を惹く、可憐さを秘めた女性です。かなり現代人の好みと離れております。つまり「お馬鹿な女」でございます。

ただ作品を読んだ私は、主人公に哀憐を感じると同時にささくれた心が癒されました。


その生きた時代背景は別として、何故山本周五郎の描く女性は男に献身的で一途な愛を捧げるばかりなのでしょうか?
ほぼ同時期の作家でも谷崎潤一郎とは大違いでございます。

多分彼の貧苦の中で商家に奉公した若い時代が影響しているのでしょうね。
彼の無名時代に一緒になった奥さんは、物語の主人公そのままに献身的で夫一筋の人だったらしいです。例えば嫁入り時に持参した衣装を売って生活を支えたとか。
苦労が祟ったのか、早く亡くなってしまうのですが。
再婚した妻も、家に居付かず原稿料を全て使って飲み歩く夫に文句も言わず仕えたとか。彼が関わった女性がそのまま作品の主人公に現れていたと言います。

「いい気なもんだ、だから昔の男は!」
と思いますが、昔の男でも山本周五郎みたいな人ってあまりいなかったみたいですよ。
思うに彼は男として相当魅力的な人だったのではないでしょうかね?

今でもいるじゃないですか。見てて腹が立つほどモテる男が。
などと解釈するのは作品に対する冒瀆です。

山本周五郎の作品の世界は、読んでいる時間は、悪意に満ちてる(としか見えない時も)世間を忘れて、優しい人情に浸れるのです。



読んでいただき心から感謝いたします。

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