私この方が大好きなんです。美人は確かなんですが、いかにも人が良さそうで天然そうだから。
この手のタイプの女性(そう言う趣味ないけど)は人をやたらと傷つける事はないと思えます。
これも彼女のグラビア写真で印象はかなり異なります。シリアスな感じ。
ただし共通してるのは無邪気な印象です。
無邪気な性格と演技が幼いというのは全然異なり、プロのスターとして着実に地盤を固めてると感じます。
初めて彼女の演技を観たのが、TVドラマ『白夜行』で、私の一番好きな役がギボムス(義母と娘のブルース)の亜希子さん。
それにしても、こんなに可愛いのに、この人38歳なのですよね、全然関係ないですが、普通の幸せの為に然るべき方と結婚出産をしていただきたく、ご縁の無い婆はお節介にも思います。
どんどん人気が上がるのが、かえって縁結びの邪魔になってるのではないか?とこれ又お節介に思います。
以上、色々物議を醸してる週刊文春の新年号のグラビアをお借りしました。本文の記事に彼女の事は何も載ってませんからね。
打って変わってたむかーしの写真です。この男女、夫婦です。
奥様はどう見ても可愛い美女とは思えず、一方旦那様は背も高く目鼻立ちが整って美男子でございますわね。
でもこの女性、眼鏡をとって笑顔でも見せると全然違う印象になるかも知れません。
写真の撮られた年代は昭和11年(1935年)、結婚記念の写真、上は当時都内山の手住宅地の橋で撮ったものです。
二人とも高学歴、共に国際語エスペラント語を学ぶ友人でありました。
夫は中国人留学生劉仁、妻は長谷川テル、日本全土に不穏な空気が漂う中、反戦運動という点で意気投合して結婚したのです。
でも私の見方としては、二人とも年頃で出会いには思想だけでなく熱烈なロマンがあった気がします。
異国で寂しい思いをしてた劉仁を暖かく受け入れたのがテルだった気がします。テルも男らしくて真面目な劉仁に強くて惹かれたのでしょうね。
ここで「蓼食う虫も好きずき」という諺を出すとテルさんに非常に失礼になります。
しかし、辛い蓼の葉を好む虫も嫌う虫もある、そのようにひとの好みもそれぞれ異なり、夫婦仲が外見や出自で決まるとは思えません。
テルさんは先に渡った夫を追って日中戦争直前の上海に渡航して、当時の日本の帝国主義を糾弾する文書を発表したそうです。
物資の苦しい中、ずっと反戦運動を続けて、祖国日本においては「売国奴」と罵られたそうです。
彼女にとっておそらく劉仁はたった一人の愛する男で夫と気持ちも行動も共にしただけだったかも知れません。戦争中も迫害を受けていましたが、実は戦後も中国の内戦(共産化)の為に中国各地を転々として、最後テルは流産手術中の事故で亡くなり、看病してた劉仁も持病が悪化して没したそうです。
妻は35歳、夫は39歳。幼い子供が残されたそうです。
「バカだね」と言われるのを覚悟して、それこそ命がけの結婚をしたのですね。
こうなると「蓼食う虫も好きずき」とは言ってられません。
ただ反戦と言う思想だけのために、彼らが今の人からはおバカに見られる行動をした訳でもないと思います。
若さゆえ、日本国と言う大きな世間から一斉に誹謗中傷を浴びても、生死をともにするパッションがあった、と私は思います。
そう言う時代であったのかも知れません。
さて、いつものおまけ。
さて、いつものおまけ。
有り合わせのカニカマ、椎茸、ネギ、卵の芙蓉蟹です。
彩りは良いですが、味は今イチでした。