読書の森

未だ見ぬ桜 その2



その時、ただ茫然と立ち尽くす徹に携帯の振動音が伝わった。
咲良からだった。
「あっ、君。ちょっと待って。でも、、、、、」
「どうしたの?徹。いつもと違う。慌ててるみたい。何かあったの」

咄嗟に徹の頭の中が忙しく動いた。
同僚の代理に急遽海外出張が決まったこと、当分会えなくなるだろうこと、それらを上手く辻褄を合わせて、咲良に伝えると
冷たい汗が脇を流れた。

「まじ徹!約束したじゃない。A公園の桜を見に行こうなって」
「無理だ」
「そんな。これっきり当分会えないなんて、酷いよ、徹」
無邪気な咲良の声を聞くと徹は胸が締め付けられるほど辛かった。
「分かった。明日会おう。出発準備で有給は取れるから明日しかない。君はどう?咲良」

「大丈夫、休めるよ。それから出発はいつよ。教えて」
「企業秘密だ。俺一人で旅立つ」
「変なの」

恐らく咲良の脳裏をいくつものクエッションが駆け抜けたに違いない。
それでも彼女は会うことを楽しみに、花の咲いていない公園に来たのである。


電話を切って徹は窓の外を見た。

処々に街路灯の青い光が射すほか、郊外の住宅街は暗い夜の闇に包まれていた。
美奈の遺体をシーツに包んで、特大のキャリーバッグに入れた。
幸いというか、細身で小柄な美奈の身体はバッグの中に納まった。
白いシーツの包みから、美奈の青ざめた細い手が覗いた。

急に激しい悔恨が徹を苛む。
徹が知的な美貌の美奈に熱を上げた日々は、思い出したくもないのに生々しく蘇ってくるのだ。
「結局、俺は優柔不断の為に二人の女を不幸にしてしまったのだ」
徹は自嘲した。

持ち物を整理しようとしたが、頭が混乱して同じ場所ばかり片付けていた。
マンションの車置き場は無人だった。
月も星も出ていない、雲が覆い尽くしているか様だった。
白いセダンのトランクにキャリーバッグを収めて鍵をかけた徹にどっと疲労が襲った。

「死のう」
それは最初から用意された答えだと徹は思った。
38年間の人生、優秀な男として認められ生きてきた自分が、これ程弱く馬鹿な立場になるとは、徹は想像だにしていなかったのである。
明日、咲良に会う。
会うだけでよい。
夕方彼女と別れて、E岬に行く。
遺書を車に置いて、夜の海に飛び込むのだ。

それが、徹の濁った頭が出した結論であった。

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