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読書の森

越すに越されぬ大井川

江戸の昔、大井川は橋も渡し舟もない河でした。
川越人足が旅人を背負ってこの河を渡ったのであります。
旅行者が単独で河を渡ると重罪になります。

そこで「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と歌われたのです。

大井川は東海道のちょうど中程、今の島田市にある江戸の要所でございます。
東海道は古来存在してましたが、お江戸日本橋から京都に至る道がきちんと整備されたのは江戸幕府の功績です。

江戸の町民の贅沢な楽しみ、それがお伊勢参り(今の三重県伊勢市の伊勢神宮です)、江戸庶民にとってトレンドの夢の旅でした中流町民の1年分の給与がこの旅費になります。
航空機はおろか電車も自動車も無いこの旅は、大人の足で一日一次、つまり約2カ月かかったのですね。

河で足止めなどされたら、乏しい懐が余計に心細くなります。「大井川近くの宿では泊まらず渡れる内に渡ってしまえ」と経験者は教えたそうですが、何故か島田宿はすごい賑わいだったそうです。

それにしても、この先の天竜川は舟を出しても良いのに大井川では舟も出せない、出したら刑罰に処せられる、ってこれ何でしょう?

大井川は一級河川ではありますが、全国的に見て16番目、川幅に至っては全国で50位台です。
なんで「大井川?」と言う疑問が又湧きます。

昔田舎へ帰る時、いつも「大井川」と「浜名湖」を目印にして名古屋に着く時間を測ってました。実は大井川と浜名湖の間はかなり距離があるのです。
大井川が関東圏なら浜名湖は中部圏と思えるのです。微妙に雰囲気が違うのです。

相当に???が沸いたのであちこちネット検索して私なりに独断で大井川封鎖(?)の理由を解釈してみました。

徳川家康の生まれ育ったところは、静岡県の今の葵区辺りで、彼は今川の人質として実の両親と離れ孤独で屈辱感に耐えて育ったのです。実の父親は20代で亡くなってます。人質としての価値がある為、物質的に不自由な事は無かったらしいですが、自由が束縛された寂しい青春を送ったのでしょう。
今川義元は自分の身辺が危うくなった時、厄介な客人を田舎(と義元は思ってた)者ばかりの江戸を与えました。
つまりこの時点で江戸は全く未開に近い土地だったのですね。
それだけに可塑性があったでしょう。

後年の彼の辛抱強さと健康志向は多分ここから生まれたのでしょう。彼の芯の相当な靭さはおそらく実母譲りだったのでしょうね。

さて彼が天下を奪った時、戦国時代の終わりとは言え、いつこの政権が獲られるかも知れない群雄割拠の時代でありました。
彼がとった頭脳的統治の一つに首都江戸を護る法があります。
大切な江戸を死守する為に要所要所は関所で固める、つまりアンチ家康は締め出し秘密情報を漏れさせない為に危険分子はチェックした訳です。
その一つとして川止めがありました。

大雨が続くと、川越(川で旅人を運んでくれる)人足も営業禁止になります。無理矢理渡る人は見張られ、ひょっとしてスパイ疑われて命を落とすかも知れない、結構厳しい時代でありました。
箱根の関所の検閲は閻魔様のようだし、情報漏れ(スパイ)に対する厳しい態度は今より凄かったかも知れません。

ただし電波なるモノを知らない時代なので、跳梁跋扈する情報伝達のスパイ(女性も含む)やアウトローは居たでしょう。
これは時代小説の格好の材料で、昭和時代よくこの手の物語がありました。


変な興味はここまでにして。

実は、大井川の舟も橋も無い背景には、首都の護りと言うだけではありません。
この川越人足ですが、幕府直下にあったらしい。つまり準公務員です。
もし橋や舟を保有すれば、彼らの収入が減ってしまう訳です。
幕府の忠実な部下である人足の収入確保の為と言う理由もあったそうです。

ちなみに数少ない女性の川越えどうしたのでしょう?着物ですよ。
これは贅沢に二人の人足が籠を担いで、その中で婦人客が優雅に(本人は優雅な気持ちか分かりませんが)揺られてたと言う事です。

昔の映画を観ても女性の旅人は圧倒的に少ないです。江戸は出女(でおんな)が禁じられてましたのも理由の一つです。
何故出女が禁じられたかこれは別の機会に又お話したいです。
ともあれ、江戸の町に女性の占める割合はかなり少なかったのであります。出られると困った訳(と言う理由だけでは無いですよ)。



さらに三番目の理由。

これが一番納得できます。つまり大井川(に限らず日本の川)は浅瀬(列車から観てもわかるように)が多く、しかも脆弱な地盤です。木造ばかりで橋梁造設技術の稚拙な江戸時代に橋を渡しても壊れる危険性が大であります。
又大井川は非常に流れが急です。大井川の川遊びってあまり聞きませんね。先の天竜川はあります。
つまり天竜川に舟が出て大井川に出ない事の説明として誰もが納得出来る理由なんです。

このように歴史的事実を分析するのは相当面白いです(ちっとも面白くねえよと言わないで)。歴史にただのロマンを求めるのは間違いだとしみじみ思いました。
施政者の生い立ちについて心理的and文学的な解釈をする以上に、施政者の政治方針や人民の扱いについて理解する方が今の時代に役立つと思います。

徳川家康は優れた政治家であり狸親父で非情な面もありましたが、人民に対処する場合にかなり常識的感覚を持った人ではなかったかと私は思いました。






読んでいただき心から感謝いたします。

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