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それは11月も末の紅葉が散り始めた土曜日の午後だった。
当時は半ドンといって、会社も学校も土曜日は午後からが休みとなる。
雄三は解放された気分で駅前に向かった。
駅前に堂々と闇市が開かれていたのも終戦後間もないからであろう。
雄三自身は会社の現物支給で食べる事に困らなかった。
職業柄売られているものに興味があった。
その頃の彼は美しい煌びやかな物に対する嗜好を自ら押し殺していた。
実社会で生きる為に耐える事をようよう覚えたのである。
しかし、その闇市で彼はこの世で一番美しいと思えるものに会ってしまった。
それはうら若い娘であった。
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雄三は母の顔どころか、名前も居どころも知らない。周りの配慮で何も知らされていなかった。
僅かに父のアルバムから芸者姿の母の顔を見た。
ふっくりと美しい人だった。
その娘は母に面差しがそっくりだった。
違うのは遥かに知性的な表情と化粧気のない事だった。
お下げの髪も紺のモンペもキリリとして、いかにも好ましい様子だった。
娘は何個か玄米パンを求めると、布に包んで手提げ袋に入れた。
引き締まった表情が無邪気で子供っぽい表情に変わった。
雄三は身体の底から起きてくる衝動が堪らなかった。
生まれて初めて女を抱きたいと思った。