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読書の森

新宿らんぶる その2

「確かに、妻は不貞を働きはしてない、暴力的振る舞いもしてない、浪費癖もない。
しかし非常に猜疑心が強い女だ。
私の不倫を疑って馬鹿げた工作をしたのですよ!
忙しさに紛れて日頃ほったらかしにしてるが、私は妻の人間性を信じてた。
仕事が一段落したら充分報いてあげたいと思ってたのに。図々しく見えるかも知れませんが、こう見えても僕は相当傷ついたのです。妻の工作は僕にとって酷い暴力行為と思えるのです」と冴木と名乗るクライアントは言った。
「、、」
「妻の悪巧みは僕の偽恋人を依頼された女性本人の口から聞いた事です。間違いありません」

狭い事務所で、かなり通る声で話す依頼者の訴えは、衝立一枚隔てて事務を取る美波の耳にビンビン響いた。
入り立ての年頃の娘、美波にとって、そう言っては冴木に失礼だが、かなり興味深い話題である。
ちょうどコーヒーを出すタイミングなので、紙コップのインスタントコーヒーをお盆に載せて目を伏せてテーブルに置きに行く。
その時淑やかにお辞儀して客をチラ見した。

冴木という客は、上品そうな顔立ちの男でいかにも金持ちに見えた。
美波は頼りがいのありそうな人だと思った。ナイスミドルである。
この男と離婚して慰謝料をたっぷり取りたいなんて、贅沢で利己主義の奥さんだと一瞬感じた。

しかし、所長は渋い顔をしている。
「説明して頂いた奥様の工作ですが、探偵社を通じて依頼した訳じゃないですよね?
冴木様の恋人役をした女性が奥様に依頼されて疑似恋愛を仕掛けたと言うのですね?
この女性は本当はあなたに好意を持つ人ではないですか?」
「とんでもない!」冴木は憮然とする。

「そうですね。それなら法律相談などされません。
ただ、真実であろうとその女性の話だけですと立証するのが難しいのです。
さらにこのような成り行きで双方に慰謝料の支払いの無い離婚に持っていくのは先ず無理です。
残念ながら当方では扱いかねます」
「、、、」
冴木はしばらく沈黙していたが、意を決したように立ち上がった。
「わっかりました。時間を割いていただきありがとうございました」

そして、所定の料金をきっちり現金で支払って冴木はカッコよく(と美波は見てしまう)立ち去ったのである。

美波に限らず、冴木という男に興味を持ったベテラン主婦の事務員は職権を活かして(?)、つまり記載された住所氏名電話番号職業から調べて(注意‼︎たとえ個人的興味だろうとこんな事絶対やっちゃいけませんよ)私立探偵よろしく冴木について調査してしまった。

調査の結果はこうである。
冴木は付き合いの良いのと比例してかなり艶聞の多い男だった。
それに気を揉んだ妻が知人女性に、冗談みたいに
「好きな振りして誘惑して。隠しても分かるようにね。
少し親しくなったら、それでホテルに誘ってくれない?ほら、最近出来た素敵なお城みたいなシテイホテルよ」
言った事まで耳に入れてきた。
これが真実かどうか、どう判断すべきか迷うところだった。



冴木が事務所訪れた一周間後、いつものようにせっせと事務を取る美波に電話がかかってきた。「これは私用ですが」と言う渋い男の声だった。
彼女は一瞬戸惑ったが、その電話を受けてしまった。
それが冴木からのデートの誘いだった。


「冴木です。以前、お世話になったお礼にお食事でもいかがと」
「ええ!私何もしてませんし、何のお役にも立ってませんけど。第一うちの事務所はご依頼の件断った筈です」
美波は口をパクパクさせた。

微かに男の笑い声が響いた。
こんな時だが、彼女は「スッゴイ魅力!」と思ってしまった。
美波が初めて聞く大人の男の言わばエロチックに感じる声であった。
「お礼は口実かな。事務所に伺った時ちらっと見たうぶなお嬢さんが忘れられないんですよ。羽田美波さん、あなたと今晩ご一緒したいんですよ。フレンチいかがです?」

美波はふわふわとした雲の上に乗ってる気がした。
ダンディで魅力的な大人の男とデートだなんて、初めてだった。殆ど夢心地である。

「でも、、」
「なんですか?」
「なんで今日じゃなきゃいけないのですか?」
『明日は羽田さん、お休みじゃないですか?」
(ウッソ!私の事調べてるんだ。逆じゃない)
こんな形で男に誘われるなんてと美波は胸の鼓動が止まらなくなった。

退所後、美波はいつもと変わらぬ服装と髪型で、一駅離れた六本木のフランス料理店に入った。
清楚な印象のブラウスとタイトスカート、緩くパーマのかかった束髪、誰が見てもお堅い事務員で艶聞とは縁が無さそうである。
彼女は、豪華な店を想像していたが、小体な目立たない店だった。

約束の時間をちょっと遅れた冴木はラフな背広姿で魅力満載である。美波が今迄知ってる頭は良いが堅苦しい男性達とは大違いだった。
ワインとコース料理は女性向きに少なめである。
冴木は穏やかな笑顔で美波をリードしてくれた。
美波は夢心地になった。

ところが楽しかるべき食事の真っ最中に、美波はある事を思い出してソワソワしてきた。住むアパートの一階の窓の鍵をかけていないのではないか、という事である。
落ち着かない美波を見て冴木はくだけた調子で「どうしたの?」と聞く。

ここでホントはポーとするところだが、真面目過ぎる美波は気が気で無くなった。
(もう夜も更けてるし、怪しい人が入ろうとすれば可能である。どうしようか!)

長く思案する事もなく、彼女は意を決して冴木に向かった。
「今日は本当にありがとうございました。とっても美味しかったです。
でも残念ながら用事があるのでこれで帰らせていただきます」
「えええ、それは無いだろう」
冴木の顔が酔ったせいだけでなく変に赤黒く変化した。


美波は怖くなってきた。
「ごめんなさい!すみません。帰りまーす」
通路を行く途中転びそうになったが、訳の分からない恐怖に襲われて、店を飛び出して、ひたすら駅への道を歩いた。
帰宅すると窓の鍵はしっかり施錠されていた。多分無意識の習慣で窓を閉めていたのだろう。
ホッとしたようなガッカリしたような思いで、美波はベッドの上にくたくたと座り込んだ。


翌朝、目の下に隈を作った美波が事務所に入ると、突然中に居た女に横っ面を引っ叩かれた。
それは冴木の妻、薫だった。
「こんな小娘に騙されて!」
引き裂くようにヒステリックな声だった。

薫は整った顔をしてかなり上質のラベンダー色のワンピースを着ていたが、可哀想なほどやつれはてていた。

「あなた方は冴木を焚き付けて私と離婚させようとしてる
それにこんな時にこの小娘が誘惑して、、」
「誤解です。冴木様がお食事に誘われただけです。第一奥様の方が離婚を言い出したとお聞きしてます」
「ウッソです。反対なんですよ。つまり手の込んだ不倫じゃないの?冴木はたまには教養はあっても世間知らなずの女の子を誘惑したかったのよ。あの人が、食事だけで済む訳が無いじゃないの!」
(確かに)と言いかけて美波は黙りこくった。この妻の異常な興奮ぶりに、漸く事務所員全員が冴木に上手く騙されていた事を理解した。

彼は実は自分の離婚相談でこの小さな法律事務所を訪れ、そこでウブな従業員を誘惑するのが目的だった。あくまでお礼の名を借りた。
そしてあわよくば既成事実を作ってしまう。
たとえ謀略だろうが、事務所側でも職員と客とのスキャンダルなど広めて欲しくない。

綺麗な妻だが、世間知らずで嫉妬深く、おまけにひどいヒステリーなのだ。
辟易とした冴木は事務所の職員の面前で妻を半狂乱にさせて、暴力、心身喪失などの合法的理由の離婚を企てたのである。

注:
ここで非通知のホンモノの携帯がかかってきたのですが、私は法律事務所勤務をした経験全然無いですよ。これは全部フィクションです。念の為!
独身の友人と昔らんぶるへ行った事があるだけです。間違えないで。相当な婆さんより。


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