読書の森

忍ばずの恋 最終章



1ヶ月後、由芽子は資料室に回された。
資料室と言えば聞こえはいいが倉庫番のようなものである。
古い記録の整理保管は単調そのものの仕事だった。
資料自体機密書類もなく、普通の記録はネットで見られるので、訪れる人は殆どいない部屋だった。

由芽子一人でいるならまだ我慢出来るが、定年間近の男性社員がいた。
爬虫類のような顔の人をいびる事を楽しみにしている男だった。

我慢を重ねて1年勤め、身体も心も衰弱した由芽子は退職した。

再び信州に戻った。
祖父は亡くなり、由芽子は老いた祖母を労わりながら畑仕事をして暮らしていた。

風の噂に広崎の事を聞く。
営業部長に昇進して活躍してるという。
能登の地主の息子で、非常に裕福な生まれだったとも初めて知った。

今それを聞いても何になると由芽子は思った。
高く澄んだ空の下で彼女が手入れしたささやかな畑がある。

理不尽過ぎると思った会社の仕打ちも、今の由芽子には理解出来る。
組織を守る為には、不用意な発言や行動は厳禁なのである。

母以外の女に心を移した父が憎かったが、遅過ぎる初恋の相手にも皮肉な事に娘がいた。
あのまま進んだら娘は自分を鬼と思う事だろう。
これで良かったのだと由芽子は思う。

いつか又恋のチャンスが訪れたとき、誰にも言わないと心に誓うのだ。

由芽子35歳、未だ若い。



その頃、広崎は会社の窓から遠い空に疲れた眼差しを向けていた。
由芽子が帰郷した噂を聞いた時に瞬間ホッとしたのを、彼は未だに悔いている。

由芽子の住所を、彼女と一番親しかったバイトの女性にこっそり聞いた。
女性の興味津津という表情を素知らぬ顔でかわして言った。

「同じ課にいる時書類を彼女に預けといたんだ。見つから無いんだよ。だらしない女だったから」
吐き捨てる様に言ったら相手は安心した顔になった。

又しても、広崎に死んだ妹の顔が由芽子と重ねって浮かぶ。
堪らない程心が痛む。
由芽子に会いたい。
会って詫びたい。

その後の厄介を広崎は重々承知してる。
それでもこの重圧だらけの社会よりも、由芽子と過ごしたひと時の方が本当に思えるのだった。

読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️

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