蝉は1年近く地面の中で幼虫として暮らす。
狭い殻から抜け出して、広い世界で思い切り鳴いても7日の命しかない。
しかし、八日目まで生き残る蝉がいるという。
さぞや、仲間外れで哀しいものを一杯見ねばならぬだろう。
いや、他の仲間は決して見る事の出来ない世界が分かるのではないか?
『八日目の蝉』という些か風変わりな題名に込めた作者の思いは、これだったのだろうか?
ありきたりの運命を辿れない女が、ありきたりでないからこそ、発見する世界を描きたかったのではないか?
私はこの作品をブログの中で、何度か引用した。
以前のぷららのブログにも書評を載せた事もある。
子供の居ない女性の持つ哀しい母性愛について、些か自分の感情を込め過ぎて書いた。
今回改めて読み直し、「母性愛をうたったというのではないな」と感じた。
作者がこの作品に込めた意図は私の推測と異なるものだと気付いた。
作者は、一貫して安らぐ事を拒否された、寄る辺ない女性の立場からこの作品を書いたのではないか?
私が感じた心を素直にぶつけた流れそのものが、実は作者の巧みな文章力による。
作品で起きた事件の経緯を、後に推理していく場面は、見事な論理性がある。
角田光代は生まれたままの無垢さを描く裏に、社会の闇の部分をきっちり分析出来る人だと感心したのである。
無垢な素顔の裏に冷徹な目を持つ、
だから角田光代なのだと。
読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️
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