昭和20年8月15日に太平洋戦争が終結した。
敗北感よりも「やっと苦しい戦争が終わった。自由になった」と感じた人も多かった。
そして、焼け野原の中で逞しく闇市が各地に発生した。
終戦から僅か5日後に、新宿で尾津組のマーケットが出来た。
闇市には食料や日用品、粗末だがあらゆる物が並んだ。
しかし、一般人の手に入るには高価過ぎた。
文字通り闇の違法な商法も多く、しばしば摘発された。
終戦の年は稀に見る異常気象だった。
強烈な枕崎台風で4000名近くの死者が出て、冷害もあって大変な凶作だった。
輸入は止まっていて、食糧は枯渇した。
巷には飢えに苦しむ人々が多かった。
餓死者も大量に出たのである。
特に都会に住む人々の食糧不足は凄まじかった。
そこで、都会人は生きる為に農作物などを求めて農家に「買い出し」に出かけたのである。
空襲の中を護った衣類を大きなリュックに詰め、決死の覚悟で列車に乗った。
当時、本数も極端に少なく、死者も出る程の満員列車だった。
だが、苦しい思いをして得た米でも闇米に違いなく没収される事もあった。
戦争が終わっても、人々が生きる為の戦いは続いたのである。
生き地獄の様な年を思い浮かべるが、実はこの年に映画は作られ、文芸誌が発行された。
戦後初の映画で流れた「リンゴの唄」が大流行した。
映画館は大変な盛況だったそうである。
映画を観にきた人が皆衣食に満たされていたと思えない。
乾いた心を満たしたかったのだと思う。
「紅いリンゴに唇寄せて 黙って見ている青い空」
と歌詞だけを見ると分からないが、リンゴを恋人に擬えて作ったものだという。
戦争が終わり、閉ざされていた恋も自由に出来る世の中になったという思いを込めた。
又、『日米会話手帖』が爆発的に売れた。
英語を学び、仕事を得て、より良い生活をしようという意欲に溢れていたのだろう。
昭和20年は、日本人が凄まじい飢えの苦しみや不便さを乗り越え、新しい時代を生きようとするパワーを持っていた。
戦後日本は生まれたてだった。
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