読書の森

梯久美子 『昭和の遺書』−美空ひばり−



後半年で平成の世も終わる。
昭和は完全に遠くなった。

本書では、昭和の記憶を描く名手、梯久美子が忘れがたい人々の絶筆を紹介している。

美空ひばりもその一人である。
平成に変わって半年後、昭和の最後を見届ける様に、52歳で逝った。
あまりにも早過ぎる死である。

彼女が、平成元年5月愛息子和也(養子)宛母の日プレゼントのお礼に書いたものが最後の手紙になっている。

「、、、早く元気になって和也と楽しい人生を送りたいと夢見ています。
和也の新しい道を見つめています。
頑張って頂だい‼︎ ママは、今度こそ悩みを引きずって死にたいなんて思わずに、生きる事に向かって歩みます。ママ」

しかし、彼女の身体は病に冒され、弱り切っていた。
手紙の約束は果たせず、翌月この世を旅立ったのである。



美空ひばりは戦後日本の国民的歌手である。
当初俗っぽいと敬遠していた私も、歳を重ねる毎にひばりの歌の上手さが分かる様になった。
声の艶、こぶしの華やかさ、何より音感が素晴らしい。

この人は歌一筋の人で歌の天才的上手さで名声も栄誉も得たが、私生活は決して幸福でなかった。

父とは離れ、弟二人は不祥事を起こし、お互いに別れたくなかった離婚もあった。
妬んだファンから塩酸をかけられた事もある。
さらに早過ぎる弟の死、一心同体だった母の死と、追い討ちをかける様に不幸が襲った。

その中で病が彼女の身体を蝕んでいった。
両大腿骨壊死、肝硬変、普通の女性なら立ち直れない程の宿痾とひばりは闘った。
亡き弟の子供、和也への愛情が生きる支えだったのかも知れない。



彼女は壮絶な闘病を続け、退院した。
不死鳥の様に復活して、東京ドームで39曲を歌い切る公演を果たす。
痛い脚を踏みしめながら、笑顔を絶やさず見事に歌いこなすひばり。
けれど、楽屋裏で毎回点滴を受けて、医者が待機していたそうだ。

凄いとしかいいようのない歌への情熱、何回でも立ち直ろうとするひばりの姿勢であった。

しかし、親しい友も次々と逝き、ひばりは孤独の中でさぞ辛かったろうなと思う。
それでも子供の為に「生きる事に向かう」という言葉を手紙に書いた。
短い結婚生活では懸命に家事をしたとも言う。
この結婚生活も、彼女の名声故に引き裂かれてしまった。

そのような切ない人生は別として、美空ひばりは昭和という時代に咲いた大輪の花だったな、と思う。

読んでいただき心から感謝します。 宜しければポツンと押して下さいませ❣️

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