読書の森

戦前日本の平和な暮らし 続き



昨日の『月給百円サラリーマン』の時代について、もう少しお話したくなりました。

戦前昭和の衣食住とはいかなるものだったのでしょう?

まず、衣服については、婦人は高価なきものを着ていることが、豊かな生活を送っている象徴だったのです。
着物は大切に扱われましたが、機能的な洋服は「貧乏くさい(!)」と思われていました。

写真の手前の女性の洋服、これは当時「アッパッパ」と呼ばれ、ストンとした夏の簡単服でしたが、普通外で着ているとかなり蔑まれたようです。

嘘みたいな話ですけど、恐らく外で働く女性が非常に少なかったのでしょうね。


写真が見にくくて申し訳ないですが、これは昭和8年の婦人雑誌5月号に載った献立表です。

鰺の干物がお昼についた献立を見ても、朝はとろろ汁、海苔、紅ショウガだけ、夜は小茄子の丸煮に鶏そぼろかけ、春雨おひたし、だけなんです。

よくこれだけのオカズで足りるわね?と疑問がわきます。
実は、オカズの少ない分ごはんを食べたのだそうです。
一人当たり月15キロ、家族で50キロ以上消費していたのだそうです。
現在は、一人当たり平均月5キロのコメ消費です。
戦前、ごはんをお代わりするのが普通だったのですね。

この大切なコメを作る農家の生活は、サラリーマンに比べてかなり厳しい状況にあったようです。
当時も今もそれは変わりありません。

さて、住居ですが、戦前の家庭の八割は借家住まいだったそうです。
戦前とは違いますが、あの文豪夏目漱石も生涯借家住まいだったそうです。
一戸建ての借家が普通の時代で、今に比べるとかなり家賃は低めです。

ではなぜ、都会周辺で持ち家が少なかったのでしょうか?
それは、当時ローンが整備されていなかったからです。
サラリーマンに、35年ローンなんて組んでくれる銀行は皆無だったのです。

衣食住から考えると、戦前と今の暮らしには大きな開きがあります。

質素倹約を心がけ、きちんと着物を大切にした庶民のおかみさんが暮らしに連帯感を持っていた時代というイメージが強くなりました。


お昼に南瓜と鶏コマ肉の煮物を作りました。
これは今晩のオカズに加えます。

昭和ヒトケタの暮らしを見習えば(但し洋服で)、長生きは出来ないだろうけど、
なんとかやっていけるかも知れません。



ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最近の「書評」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事