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読書の森

悪貨は良貨を駆逐する その2

もともと金銀など価値ある鉱物が貨幣として使われていました。
ただ、貴重な鉱物資源は無限にある訳ではありません。

その国の財政事情が悪化した時、国の財産である希少鉱物の割合を減らして質の悪い貨幣(悪貨)を流通させれば、減らした分だけ財政が助かる事になる。

余裕がある消費者(国民)は流通した新しい貨幣を使用して、希少鉱物の割合の高い貨幣(良貨)を手元にに置きます。
流通市場には悪貨だけ出回ります。

結果として
「悪貨は良貨を駆逐する」事になる訳です。


さて、黒船来航した当時の江戸幕府は金銀銅を貨幣として使用しています。
この時、日本に居留する外国人も日本の通貨を使用する必要が起きます。

そこで気づいたのが、日本の金の価値が自国に比べて低い事だったのです(°▽°)

中世マルコポーロの昔、日本は「黄金の国ジパング」と言われてました。今では信じられないでしょうが、当時の日本では金の算出量が非常に多かったのですね。
掘りやすい土地柄だったのか、採掘技術が優れていたのか、とにかく島国に関わらず海外に鳴り響く程、金の量が多かったらしい。

具体的には平泉の金色堂、京都金閣寺、名古屋城の金の鯱鉾、などなど権力者は文字通りカネにあかせて金を使用したのでしょう。

なので江戸初期の大判小判の金の含有量はかなりのものでした。佐渡金山の算出量は日本一で非常に豊富だったのです。
人間の哀しいところは今豊富にある物が未来永劫豊富にあると思いこむところみたいです。
そこで、資源をせっせと使って、国全体を豊かにする、豊かになった人民はその政府を信頼する構図が出来る訳です。

黒船が来航の頃、多分佐渡金山の埋蔵量は乱掘の結果大幅に減少していたらしい。しかし、外国に比べて金の価値が低いのです。そこに目をつけた彼らは外国の銀と日本の金を交換した。
結果的に3倍の儲けになるからです。
その為幕末期に大量の金が海外に流出したそうです。
今さら「返せ」などと言う筋合いのものでは全くないですが、当時の日本の庶民は全くそんな事知りません。
幕府が到底知らせる事も出来ません。

結果的に悪貨の鋳造が続出、国の経済が疲弊、暮らしの圧迫、不平を持つ下級武士の反乱が起きるのです。
当時冷遇されていた身分の武士、後の勤王の志士は
「こんな貧しさに喘ぐ結果になったのは、野蛮な外国人が我が国を荒らしたからだ、排斥しろ!やっつけちゃえ」と攘夷に走ったのですね(お手軽な見方ですが)

しかし近代兵器に武装された外国人は痛手など受ける筈がない、どころか逆に攻撃されて日本が危険に陥いる。これに気づいた彼らは不甲斐ない幕府を倒して、天皇陛下のもとに強い日本を再興しようと力を尽くした。
これが、明治の御世になって軍国日本が生まれる基盤だったと思います。
これは極めて独断的な私の歴史観です。

ただ、貨幣価値が歴史を変化させる事もあるのではないかと私は思うのです。

ちなみに、佐渡金山は平成元年を以て閉山となりました。金に限らず、お宝を探す事よりいかにお宝を大事に使用するか、を考えたいところです。




読んでいただき心から感謝いたします。

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