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話は遡る。
麻美にとって気が合う仲間だった圭一が特別な人になったのは、ある医療事件がきっかけとなっている。大腸ガン患者の手術の際に患部と異なる部位まで切り取ったアクシデントだった。その執刀医が気鋭の教授だったのである。
この時麻美も圭一も手術室に控えていて、教授の手術を逐一見ていた。
何故腕の良い教授がこのようなミスを犯したかと言えば、レントゲンが別の患者のものにすり替わっていたからだった。
逐一患者を診てない教授はこのレントゲン写真を基にして手術を進めていた。
幸い患者の予後ににさしたる支障は無かった。切り取られた部分はごく小さなものであったし、これによって消化や排便機能に障害が出るものでなかったからだ。
結果、このミスは闇の中に葬られる事になった。
しかし、若い二人はこの事件について興味しんしんとなったのである。お互いこっそりと「陰謀ではないか?」「クランケの本来の患部はどこで本来のレントゲンはどの時点で入れ変わったか?」と真剣に話し合ううちに、恋が生まれた。
事件とは別に、非番の際に一緒に音楽会へ出かけた。
そして、、、初めてのキスの後。
「あの事件、何も支障はなかったから忘れる事にしない?」
圭一が囁いた時、うっとり目を閉じてた筈の麻美は身体を硬くして拒んだのである。
「いくらなんでもそんな事で医療事故に目を瞑るのは許せない。せめて真実だけは掴みたい」
およそ場にふさわしくない麻美の言葉は盛り上がっていた二人の恋を一気に壊すものだった。
医局内で麻美の私生活についてある事ない事囁かれたのはその頃からである。大病院にとって有能な教授の医療ミスは隠したい事故である。
首を突っ込もうとする麻美に対する牽制とは分かっていても、噂の中身の汚さに麻美はひどく傷ついてしまった。
幾晩も眠れぬ日々が続いて鬱病と診断された彼女は医局を依願退職した。
それでもネットなどで彼女に関する嫌がらせが続いていた。
苦しんだ彼女は唯一の頼りと思う圭一に懇願してあの晩8時会う約束になっていたのである。ところが圭一はいくら待っても来なかった。電話をかけても発信音が耳に響くだけだった。
すっかりあきらめて彼女が裏道を歩いていると、突然何者かに後ろから首を絞められた。
「助けて。圭一、助けて」驚いた彼女は必死に抵抗して声を限りに叫んだ。
誰かの足音が聞こえて、ようやっと手は離れて男は逃げ去った。
ショックで朦朧となった彼女は目だけ恐怖と警戒心で光らせながらふらふら彷徨ってい込んだ所で、あの包みを渡されたのである。
その後、圭一は音信不通となった。聞けば彼も医局を首になって某病院に入院したそうである。
麻美が医療関係書類のフリーの翻訳を始めたのはそれからかなり時を経てからだった。
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穏やかな風の吹く秋の昼過ぎ、麻美の目の前の椅子にコチコチになった藤堂が座っていた。
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穏やかな風の吹く秋の昼過ぎ、麻美の目の前の椅子にコチコチになった藤堂が座っていた。
「良かったですね。無罪放免になって」
「あれもこれもあなたの証言のお陰です。聞けばわざわざ警察に連絡して、あなたから見た僕の行動を報告して下さったそうですね」
「ええ、あなたはよくマンションの前をお散歩されていたから」
(本当は散歩のフリしてキョロキョロ私の部屋を覗いてたんだけど)
麻美は心の中で舌を出しながら、この探偵を見つめた。
藤堂は耳まで赤くして、俯いて洒落た包装の小さな包みを取り出した。
「お礼と言っては何ですが、今日伺ったのはこれを差し上げたかったのです」
そして、藤堂は赤くなった顔を上げ、熱心な目で麻美を凝視した。
「何ですか?」
「開けてください」
殆ど強引な押し付けである。
あらかじめ藤堂の前身を知っていた麻美は(さすが元刑事、有無を言わせぬ言葉だ)
と恐る恐る小さな包みを開けた。
出てきたのは、小さいけれど奇麗な輝きを持つダイヤの指輪だった。
「これは!(ウソーまさか)」
「僕の気持ちなんです」
言いながら藤堂は今度は麻美の頬が美しく血の色に染まるのをうっとりして眺めている。
麻美は微かに口を開けて、自分が全く知らない世界を生きてきたこの男を見つめるだけだった。