世の中怖ーい値上がりの風が吹いておりますが、終戦後しばらくの庶民の暮らしは、もっと凄い貧困の只中にありました。
折角貯金していたのに、お金の価値は格段に下がって紙切れ同然になり、しかもモノ不足で美味しいモノも値段が高くて手が届きません。
この昭和20年代、30年代初めの庶民の子ども達の暮らしを暖かい目で描いたのが壷井栄の童話集です。
今日はその中の『坂道』を取り上げました。
戦争で両親を失った19歳の男子、堂本さんを引き取った家族は6畳と3畳二間のバラックに親子6人で暮らしてます。
自分達が生きていくだけでも精一杯なのに、訪れた堂本さんの哀れに痩せた姿を見て家に泊めてあげる事にします。
堂本さんは職探しに一生懸命ですが、お金を取られて逃げられたり、さんざんな目に遭うばかりでした。
彼を慰める為になけなしのお金を叩いてお母さんが買ったご馳走とは、なんと生卵2個です。昔は養鶏場などありませんし卵はかなり高価でした(濃厚で美味しかったけど)。1個単位で売ってたのですね。
真っ白なお米のご飯に鮮やかな色の卵かけご飯、これがご馳走だったのです。嘘みたいな話です。
堂本さんは恩義に報いる為、屑屋になって懸命に働く一方、勉強して大学の夜間部に入学を決めたのです。
『坂道』という題名は彼が晴れて独立する下宿に引っ越す道の坂を指してます。
この『屑屋』さん、現代で言えば廃品回収業でしょうか、終戦後結構見かけたのです。
この『屑屋』さん、現代で言えば廃品回収業でしょうか、終戦後結構見かけたのです。
「屑ーい、おはらい」と家々に分かるように声をかけて、リヤカーを引っ張って道路を行く、その頃は自動車など数える程しかなかったので、ゆっくり商売してました。粗末な身なりで軽蔑する人も多かったのですが、小学生の私は学校で「職業に貴賤無し」と教わった為か、全然そう感じませんでした。
「納豆売り」の人、「竿だけ屋」、東京庶民が住む町中を、声を出して売って歩く人が多い時代でした。
さて、この屑屋さんはリサイクル、リユースを生業としています。モノの少ない時代ですから、再利用は格段に多かったです。
もっと時代が過ぎて、昭和57年会社員の私が自立してアパートの2階を借りた時、老人夫婦が大家さんで一階に住んでました。台所の水が詰まって相談したら、たちどころに解決してくれました。
何のことはない、流しの口が詰まっていたのでお菜箸で丁寧に取ってくれただけです。
「あら困った菜箸一本しかなかった」
大家の爺さん笑って「綺麗に洗って又使えば良い」
「ええ!」
そんな感じで、戦前の大人の暮らしの知恵をたっぷり教えていただきました。
「モノは何回も使える、もったい」それを身を持って体験した世代なのですね。
時代の変化の真っ只中で、又戦前の生活の知恵が役立つ日が来るのかも知れません。やたらと資源を無駄使いする時代が過ぎていくのでしょうね。
さっぱり手軽に出来る料理が嬉しい季節に入りました。
豚バラ薄切り、胡瓜、トマトで、サラダを作りました。
豚バラは熱湯で茹で、トマトと胡瓜はスライス。それに酢、醤油、砂糖、胡麻油、ニンニクのすりおろしを混ぜたドレッシングをかけて出来上がりです。
トマトの代わりにもやしを茹でたものでも可。応用し易い料理です。