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読書の森

池波正太郎『小説の散歩道』続き

先日触れた池波正太郎のエッセイですが、「時代小説」について書いたものがあります。
時代小説の達人の彼がわざわざ「時代小説」について書いた意味は、それぞれの時代によって読者の反応が全く違うと言う点です。

戦前、戦中の時代小説、戦後しばらくの時代小説、そして現代における時代小説は、読者受けのする箇所、キモの部分が全く違う、と言う事ですね。

小説で無いけど、あの『鬼滅の刃』です。戦中にこれだけ受けたか?と言うと私はかなり疑問に思います。

どんな小説でも読者の琴線を揺さぶるとこがあって、『鬼滅の刃』ですと、「家族愛」、「家族の絆」、それとひたすら人間を慕ってくる動物、がその泣きどころに思えます。

ここで非常に古めかしい「忠臣愛国」と言うテーマが出たらどうでしょうか?
これ、学生運動が激烈だった昭和40年代(1965~75)に若者間で言ったら殆ど軽蔑ものでしたけど。
ひょっとして、今の一部の方たちからはかなり受けるかも知れませんよ。

1977年の池波正太郎はこの忠臣愛国のテーマをどんな形で小説にしたら良いか悩んだらしい。

彼の思い描いた主人公が鳥居強右衛門(とりいすねえもん)です。戦国末期に長篠城の家来の強右衛門、今じゃ知る人なぞ殆どいない。
ところが、戦前の殆どの少年の心を震わせた英雄なのです。
強右衛門さんって何をした武士なのでしょうか?


彼は自分の命を犠牲にして、主君と仲間のいる城を護った人です。

当時、彼の属する長篠城は小さなお城で、武田の大軍に囲まれ落城寸前。敵は1万5千で味方が5百、食糧倉庫を爆破されて、最早これまでと言うところです。
必死の城主は鳥居強右衛門に敵中突破して、援軍依頼の密書を織田、徳川方に届けるように命じます。見事に強右衛門はこの役割を果たす。勇気も知恵もある人だったのです。
徳川の援軍は後2、3日でくると言う、強右衛門はそこで待てば良かった訳。

しかし、彼は一刻も早く苦しむ仲間に知らせて安心させてやりたかった。そこで又危険を侵して城へ引き返す。ところが武田に捕まっちゃうんです。
武田は彼ほどの人物を味方に入れてかつ城を落として進軍したい。そこで武田家臣として取り立ててやるからと「虚偽の報告」を彼に強いるのです。

「もう援軍は来ない。降伏よりない」こう言えと。強右衛門は素直に受けます。
そして、、
長篠城の前で
「援軍はそこまで来てる。もう少しの辛抱じゃ」
と叫ぶ。途端に捕らえられ無残な最後を遂げます。磔にして味方の前に晒されたとも伝えられている。

これが太平洋戦争当時の日本人に受けたのです。
身を捨てて、国(城)を護る。
これが「神風特攻隊」に通じるのでしょうか?

閑話休題、この話池波正太郎さんは好きだったらしいです。私も悲壮感よりあったかい情けを感じる話に思えるのです。
「忠義」が人として守るべきモラルかどうかは疑問ですが、「仲間や故郷を見捨てるより身を捨てても護り抜きたい」と言う気持ち、好きなんです。

まあ自分の「命あってのものだね」なんですが、愛する家族を超えた同胞愛ですかね、今の日本人に欠けてるかな、とおこがましくも思ってしまう。
ただし、「じゃあこの婆の命の一つや二つ捨てても」とは思わないのです。勝手であります。

追記:ここで非常に邪魔が入りました(ハッキング)。
これが誤解の大本なんですけど、私日本主義じゃないのね。中国でも韓国でもない。黄色人種でございます。
なのでお互いどっちが一番だとか(まあ今は完全に負け状態ですけど)争ってる場合じゃないと思います。

要するに自分の仲間を文字通り愛するってことは護る事が先で敵をやっつけちゃうのは後だと思うだけ。偉そうな婆の言いたいことのキモです。愛するってそう言う事だと思うので。
ただ人や国に愛される事と全然違うと思います。



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