読書の森

ツツジ咲く街 その2



駅ビルのレストランで二人は食事した。
五月晴れの空は澄んで美しい。
「それにしても何が起こるか分からない世の中になったわね」
「本当にね。ちまちました仕事してちまちま生活してるのが馬鹿らしいわよね」
多美は上品に笑う。

整った小作りな顔立ちの多美は高価な日本人形の様に上品だった。
今や高級住宅街となった新横浜の一戸建てに多美は住む。
夫は大学で物理学を教えている。

一方、杏子は新横浜を遠く離れたA市のボロアパートに住む独り者である。
もはやいわゆる負け組に入っている。
彼女が人並みの生活を保っていけるのは、知己が勤める新聞社に毎週匿名でエッセイを出しているからだ。

このままズルズル暮らしたく無いという焦りが妄想の様に物語を生むのか。
杏子は苦笑いを漏らした。
彼女の苦笑いは柔らかい微笑に見える。
一時痩せこけていた頬はふくよかさを取り戻し、ちょと見には苦労の無い主婦に見えるのが杏子の取り柄だ。



多美は急に身を乗り出した。
「ねえ、あなたも馬鹿らしいと思うでしょう!だから新横浜から出発しましょうよ」
杏子は人が変わった様な多美に驚いた。
「何言い出したの。出発って新幹線で?どこへ?」
「当たりよ。場所は大阪道頓堀。
費用は私が持つの、お願い一緒に行って」

多美は月に一回宝くじを買う趣味がある。
今回それが当たり二人分の旅行費として充分だと言う。

「それにしても、大阪とは」杏子は躊躇した。
杏子の母は大阪市内の精神病院に入院していた。
母の姉が元気だった頃世話になり、それから民生委員に相談して老人施設に変わった。

最初の頃、母の荒廃しきった表情を見た杏子は足がすくんだ。
薄情な娘と思われ様とわが身を護るだけで精一杯だったのである。

自分の幸せを葬った家族の事件を思い出したくないから大阪に行けないのだ。
最後に見た道頓堀の灯がチラチラと杏子の脳裏をよぎった。

子どもの頃遊んだ川端通が懐かしい。

読んでいただき心から感謝いたします。

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