有り難くも賢くも、下りたばかりの年金を手に婆は久しぶりに銀座に行きました❣️
銀座一丁目で降り、どこから地上に出れるかと、長い長いエスカレーターを乗り継ぎ、やっと地上の光が差してホッとします。
ところが、地上に上がる為に階段を登らねばなりませんでした。これが昔からある階段で狭いです。
仕方ないと杖を突いて一段一段落登って後ろを見ると、かなり人が続いてます。
「ごめんなさい🙏」と言いながらやっと地上に出ます。
皆全然見ないフリしてくださって、地元の人らしい杖をついたおばあさんが同情して「大変でしたね」と包み込むように言ってくださって、嬉しくなります。
銀座がこれほど人情があるとは、生まれて初めて気がつきました。
古きよき東京の地元の習わしで、人の欠陥などは全然知らんぷりをしてくれます。凄く困った時は寄ってくれるし、それで昔から東京に人が集まったのか?と思ってしまいました。
東日本大震災やコロナ禍の前の東京に戻った気がしたのも束の間、今やギラギラ灼熱の地獄。大変お暑うございます。
銀座の建物の外容はかなり変わっておりました。
親たちも上京して落ち着いて母と行った銀座、母は結構この辺りが好き(買わないで銀ブラですわね)でしたが、全然違うWindowの中。それは当たり前で、今から67年位前の銀座のお店です^ ^。
実は、私青春期も勤めてた頃も殆ど銀ブラはしませんでした。
大体出かけた所は渋谷、新宿でした。
ただ、古い古い記憶を辿る(自信ないけど)と銀座で「氷」の看板を見た事が無かったようです。そこで図図しくお店の方に頼んで撮らせてもらいました。
若かった母(若干30歳前)特に銀座のデパートの中を見るのが好きでした。名古屋の中心地で生まれた為か都会っ子でしたね。私は戦後間もない岐阜の大垣の田舎の子で、デパート歩きがあまり好きでない。我慢して付き合ってた、それでも子供心に夢のように綺麗なところと記憶してます。
今回、久しぶりに古い記憶が蘇ってきました。
今の銀座通りの国際色豊かなところは格別です。
一番いいのは、杖ついて歩こうがどんな格好だろうが、全然気にしてない方ばっかり通るという事です。
超美人が「まああ!」という素敵な服でスマートに歩いてるかと思えば、「あらまあ」という感じの人も平気で歩いてます。超美人や超イケメンの割合が遥かに多いけどね。
これも母とよく行ったデパ地下でパンを購入致しました。私はアンデルセンのパンが一番好きなのです。
松屋を選んだ理由は、当然快適な空調の中でいられるからと、地下1階に地下鉄駅が3つあるからです。
日比谷線、銀座線、有楽町線(銀座一丁目)に通じてるんです。
電車の1日旅、当分出来そうにはありませんし、諸事情により最後の銀座になるかも知れないけど、懐かしくも幸せな小さな旅でした^ ^
今日の晩から明日にかけ、強烈な台風が見舞って(?)くるとか、どうかなんとか無事で済みますようにね!